息継ぎするように。
夏の思い出として、多くの人は何を想い描くだろうか。
多くの人は、海やプールだろう。
しかし私にとっては、海やプールは苦い思い出しかない。
理由は、泳げないから。
学校のプールの時間ほど、苦な時間はなかった。
気づくと、すでに泳げなかった。
泳ぐ泳げない以前に、なぜか水の中に顔をいれると怖かった。
毎朝、顔は洗っているし、お風呂でも頭は洗っている。
いや、少し待てよ。
シャワーの量が思っていた以上に多いと、結構あっぷあっぷしていた。
美容院でシャンプーしてもらっている時も、
顔に水が少しでもかかると気持ちが沈んでいく。
水が怖いので、息継ぎができなかった。
しようとすると、息切れというか何だろう。
溺れているように、苦しくなった。
なぜ水が怖いかは、高校生になってわかった。
幼い頃に、お風呂で溺れたことがあるらしい。
そんな大きく深いお風呂ではなく、どちらかといえば狭いお風呂。
父親と一緒に入っていて、父親が頭を洗っている時に、
気づくと溺れていたらしい。
記憶は一切ないが、身体が心が覚えていたのだろう。
正直にいえば、小学生の頃に聞きたかった。
「なぜ」と悩むこともなかったし、
理由さえわかれば対処できたかもしれないから。
父親は笑い話のように披露したが、こっちは笑い話ではなかった。
高校生になってからだったので、
別に「もういいや、泳げなくても」と思ってしまった。
理由を聞かれても、
「お風呂で溺れたトラウマが・・・」と笑い話のように言えるから。
そういえば、こういう返し方はよくする。
厄年は引っ越ししない方がいい、などよく聞く。
「○○しない方がいい」を、厄年にした。
理由を聞かれても、
「いや、厄年に○○したからだね・・・」と言い訳できるから。
まぁ、軽い天の邪鬼の性格があるので、しょうがない。
それはさておき、成功者と呼ばれる人たちの成功体験などで、
深く探ることが大切とよく聞く。
でも潜るだけではダメで、息継ぎの仕方がより大切だと、
泳げない私は強くいいたい。
詳しくは、『深く潜っていく。』の中で。
息継ぎについては、人一倍気にする。
私は文章を書くとき、息継ぎできるぐらいの文にしようと思っている。
理由の一つは、
読んでいて苦しくなる本は、一つの段落が10行以上ある本。
息継ぎせずに読むと、結構疲れる。
だからだろうか、向田邦子さんの文章が好きなのは。
息継ぎできる文量(行)で、話が展開していき、心地いい。
もう一つの理由は、リズム(律動)を大切にしているから。
一つ目の理由と同じかもしれない。
息継ぎがうまくいくと、リズムが伴い、スイスイと泳ぐように読める。
泳ぐようにと書いているが、私は泳げないけれど。
何事もリズムは大切。
この数年は特に、暮らしのリズムを、息継ぎを大切にしている。
今は、できれば21時には寝て、朝は4時に起きている。
仕事のある日も、週末も、同じリズムで、息をするように暮らしている。
だから、波が少ないし、疲れなくなった。
少ししんどいなと思ったら、リズムの中に潜るようにする。
最近、いろいろなニュースを読むと、息継ぎしていないように思える。
その苦しさが、悪い方向に向かっている。
だから、言いたい。
息継ぎしましょうと。
吸って、吐いて。
吸って、吐いて。
そうすると、心が落ち着き、自分を取り戻せるから。
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