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心躍る世界。
ある言葉の意味がわからない。
「ブラック企業」
意味というより何を指して、ブラック企業と呼ぶのかが正直わからない。
明確な定義はないけれど、よく劣悪な労働条件などを指して呼んでいる。
そこに、一つの疑問がある。
同じ労働条件で情熱をもって仕事をしている会社もブラックなのだろうか。
労働条件をよりよくすることは当然必要だ。
劣悪な条件下で働くことは、決してよくない。
それもその劣悪な条件下をダブルワークで働く人たちもいる。
ビジネススクールの修士論文で、
母子家庭の貧困の世代間継承について研究していた。
父親役までするお母さんの苦しさはよく知っている。
そのような劣悪な労働条件について知っているが、
経営者が本当にすべきことは、
労働条件をよくすることではないと思う。
労働条件をよくしなくてもいい、と言っているのではない。
仕事に、会社に、情熱を向けられるようにすべきだと思う。
労働条件をいかによくしても、情熱が向けられないと人は去っていく。
このようにいうと、言われる。
「じゃぁ~、情熱があれば、労働条件を置いておいていいのか。」
この考え方は、正直極論すぎて怖さを感じる。
二者択一で物事を捉え過ぎるから、対立の構造が起こる。
社員に情熱を向けられるように、本気で経営者が考えることで、
結果として労働条件はよくなる。
経営者が社員に熱意をいくら語っても、情熱にはならない。
熱意と情熱は違う。
どう違うのかをうまく説明できないけれど、何か違う。
熱意は、意思があるので頭の部分。
情熱は、情があるので心の部分。
心を動かすような何かが、会社に足りない気がする。
いや、会社だけではない、社会全体にも足りない。
いい労働条件にすると、さらなる条件を求めてしまう。
過去の条件と比べていたのが、今の条件と比べる。
これからの条件から、今の条件をみてしまう。
そう、条件にすると、きりがなくなる。
欲と条件は、関係しているから。
欲って一度もってしまうと、「もっと」がどんどん増していく。
もし条件が変わらなければ、
経営者は社員に、社員は経営者に不満を抱く。
そう、ここに大きな対立が生まれる。
条件はあくまで手段の一つにすぎない。
本当に大切なことは、目的。
目的に情熱を傾けられるかどうかが、大切。
もう一つ、目標と目的も違う。
目標を目的と捉えている会社があることが気になる。
目標も目的のための手段にすぎない。
実は、目標を目指すという言葉が苦手だ。
手段の目的化ならぬ、手段の正当化に聞こえるようになった。