たった一つの居場所を奪われたら。|ドラマ感想
これは、以前使っていたブログに当時観ていたドラマの感想を投稿した文章。読み返して今も大切だと思い、また想い入れもある投稿だったので、文章や言葉をリニューアルして、改めてnoteに投稿することにした。
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第4回は、“居場所” についていろいろ感じた。相関図はこちらに。
居場所を奪われたら、どんな気持ちになるのか。
ドラマの掲示板ではいろいろな意見があった。栞(二階堂ふみ)の行為に批判的な意見や人格そのものを否定する意見が圧倒的に多かった。
栞の行為は決して許されない。だけど、「何故あの行為をしたのか」を考えると栞の気持ちもわかるので、批判や否定の声には心苦しかった。
栞は学校でイジメられて、居場所がなかった。やっと仲間ができて、許されない行為と知りながらもその行為をすることで仲間から認められ、居場所をやっと見つけた。しかしその居場所も失い、残された最後の居場所(家)が奪われるかもと追い詰められ、やってはいけない行為を犯してしまった。
栞は告白するまで、毎日苦しんできたと思う。罪の意識に苦しんだからこそ、信(小栗旬)の絵を書き続けたのではないだろうか。
母の紗子(田中裕子)もまた、元夫からの暴力を受け居場所がなくなり、新しい居場所を見つけたからこそ、栞の想いが誰よりもわかったのではないだろうか。
居場所があると、どんな気持ちになるのか。
印象的なシーンがあった。それは、栞が友人と出会ったシーン。
二人のかみ合わない会話と最後の表情が頭から離れない。自分の気持ちを抑え、どう表現していいかわからない何とも言えない戸惑いのある表情。去年(2012年)、塾で教えていた一人の中2の男の子のある表情と少し似ていた。
勉強が苦手で(5教科合計100点前後)、「勉強ができない」が当たり前の学校生活を過ごしていた。4月から彼は入塾し、毎日本当によく頑張って、週2日マンツーマンで一緒に勉強をした。私自身も4月から塾の手伝いを始めたばかりで、最初の教え子だった。
最初の中間までの約1ヵ月半で、80点は取れるかなぐらいまで本当によく勉強した。中間テストが終わり私も塾長も気になって、「何点やった?」と聞くと、彼は首を傾げて苦笑いだけ浮かべていた。
答案を見せてもらうと、まさかの90点越えの高得点! 大人二人が喜び騒いでいるのに、当の本人はどう表現していいのかわからず、苦笑いをずーっとしていた。その顔は今でも忘れられない。なぜかあの時の彼の表情と栞の表情が被った。
ローマ字もアルファベットもわからないまま受ける英語。分数などわからないのに、どんどん進んでいく数学。思わず、「授業受けていて楽しい?」と聞いた。すると彼は、「友だちがいるから」と言った。学校が彼の居場所だった。
入塾当初の彼は毎日無表情で、何を考えているのかわからなかった。母子家庭の一人っ子で、お母さんが看護師の仕事をされていて、友だちと遊ぶのが終わると独りきりになる。塾という新しい居場所がつくれてからは、笑顔が見えるようになりよく喋るようになった。
居場所とは、自分を受け容れてくれる場所。
自分を認めてくれる(承認)場所がない子どもが増えている。悲しいことに、2013年よりも2019年の方が増えている。教育現場では、居場所が大きな問題になっている。子どもの貧困などを取り組みんでいる多くの非営利団体でも、まずは子どもたちの居場所づくりを最優先にしている。心から笑っていられる場づくりに苦心している。
居場所とはそこにいることで承認されるような場所で、誰もが承認されたいと思っている。子どもだけでなく、大人も同じように求めている。
SNSが流行りだしてから、この欲求は強くなっている。居場所を守るために、相手を否定批判する。まるで、自分が存在していることを周りに示すかのように。
唯一の最後に残された居場所を失うことが、人にとってどれだけ大きなことであるか。自分の居場所が明日すべてなくなることを想像すると、はたして耐えられるだろうか。
誰にとっても居場所は必要。あることで安心できるから。栞の許されざる行為も、彼女一人の問題ではなく、2019年の今現在も実際に起こっている社会問題の一つであることを伝えたかったから、今回改めて綴ってみた。これからもしばらく綴っていく。
子どもに関わる問題は、子どもに原因があるのではない。それを支える社会に原因がある。解決するには、支える側の私たち大人が何かすることが大切になってくる。
貧困問題も以前は家庭の問題と多くの人は無関心だった。しかし、多くの社会学者の研究・啓発活動や政府の発表の結果、私を含め多くの人が知るようになった。
脚本家の坂元裕二さんは『Mather』のときもそうだったけれど、多くの複雑な社会問題を一つの作品に取り上げている。『anone』はあまりにも複雑しすぎて多くの人が理解できないまま、批判された。
何を伝えようとしているのか、どういう社会を願っているのか、自分なりに考えて今後も観ようと思う。ドラマのメッセージが何かよりも、ドラマをみてどう感じるのかが問われると思う。
2013年当時は子どもの居場所について綴ったが、ここ数年は、大人も同じように居場所を求めている。子ども以上に求めている。居場所があることで、人は安心できる。逆に居場所が奪われることに、ストレスと不安を抱える。
「居場所はありますか」と問われれば、なんて答えるだろうか。
私は「ある」と答える。ただ、私の居場所は物理的な場所ではない。私の居場所は、自分の内側に在る。この数年で変容できた結果、この居場所に辿り着くことができた。
内側にあるから、居場所を探し求めたり、奪われる不安もなくなった。自分の中に常にある。そう、私自身が、私の居場所になったから。
居場所に囚われることがなくなった。その結果、自由になれた。「何をしてもいい」という自由ではなく、「どこにいてもいい」という自由。
そう、私“は”自由でもなく、私“の”自由でもない。私“から”自由になることができた。いつでも戻れる場所が在るから、自由になれた。これは、仏教の思想にふれたことで、本当の意味の自由を手に入れた。
ただ本当の自由を手に入れたので、場所(組織、人など)に気にせず縛られず、ふわふわぶらぶらしてしまうようになった・・・。
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