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(第2回) 扉の向こう側に在るものは

「私の説明書 ~書くことで何をしたいのか」の2回目。今回は、「扉がなぜ必要か」から、私の役割は何かについてふれていく。

< 目次 >
扉のこちら側に立っているのは、だれか
扉の向こう側に在るのは、なにか
扉が開くと、なにが起きているのか

扉のこちら側に立っているのは、だれか

「どのような心境で、扉の前に立っているのだろうか。」

扉のこちら側で立っている人を分けるなら、扉を開けようとしている人と扉が開けられない人になる。
扉を開けようとしている人は、これから起こる楽しいことを期待している人、開けてから起こることに希望をもっている人、今抱えている不安などから解放されたい人。
扉が開けられない人は、開けたいけれど開ける勇気がない人、扉を開けることに不安を感じている人、何が待っているかわからず開けるのが怖い人。

希望と不安、現在社会の縮図を顕す言葉が扉のこちら側にある。私はどちらの前に扉となって現れたいか。どちらかを選ぶのではなく、二人の前に現れたい。しかしどちらかを選ぶなら、 “不安を感じている人” の前に現れたい

「なぜ、不安を感じている人なのか」

希望をもっている人は自ら行動に移せるが、不安を感じている人は行動に移すことが難しい。行動に移せないのは、行動したくないと思っているからではなく、なにかが行動に移すことを阻んでいるから。行動に移すことを阻んでいるもの、それは不安や恐れなど
阻まれて苦しい時心から願う、「誰か手を差し伸べてほしい」「誰か手をにぎってほしい」「誰か背中を押してほしい」と。行動する人が増えていけば、社会はどうなるだろうか。

社会はよりよくなると、私は信じている。ただ、不安を感じている全員が行動に移せるかは難しい。時間が経てば、行動に移すかもしれない。自分と同じ不安から行動できなかった人が行動したことを知れば、勇気をもらい、いつか行動に移すかもしれない。自分のタイミングで、行動に移せばいい。
希望を抱いて扉を自ら開けて前を歩いている人がふと後ろを振り返った時、誰もいなければどう感じるだろうか。

誰もいなくても独りで歩き続ける人もいるだろう。しかし多くは、孤独感から不安に襲われるだろう。襲いかかる不安から、誰か来るまで待っているかもしれない、それとも誰かがいるところまで戻っていくかもしれない。前を向いて歩くには、後ろや横で歩いている人の存在は必要だ。誰かの存在を感じられると、安心できるから。
今不安を感じている人に寄り添うことが、今不安な人だけでなくいつか不安になる人をも、支えることにつながっていく。


扉の向こう側に在るものは、なにか

「扉で、どのような変化を促すのか。」

私がなる扉とは、人に社会に未来に変化を促す存在。“私が” 変化を起こすのではなく、“私は” 変化を促すきっかけの一つ。変化の中心に私がいるのではなく、“扉(私)を通り抜けた人” が変化を起こしていく。そして、不安で覆われた社会が安心できる社会に変わることを、私は強く希んでいる。安心できる社会になるには、 “人の意識の変化” が必要だ。扉となって、人の意識の変化を促したい

人の意識が変われば、行動に変化が生まれる。行動する人が増えれば、社会はよりよくなる。社会がよくなれば、安心できる社会に変わる。安心できる社会に変われば、絶望し諦めていた未来が、希望(笑顔)あふれる未来へと変わる。そして、みえなかった未来がみえてくる。
私は、希望あふれる未来を創りたい。希望あふれる未来をつくるためには、扉に何が求められるのだろうか。求められるのは、不安をどう安心に変えられるか

「なにに、不安を感じるのだろうか。」

不安にはいろいろある。不安を感じる理由もいろいろある。一般的には不安は、期待に対する失望から起こる。始めから不安だった訳ではない、期待が始めにあった。「こうなりたい」・・・でも・・・「うまくいかない」。“でも” が増えていくと、 “不安” も増えていく。
期待していたことが実現できず、期待から失望へと変わり、不満・不信感そして不安へとネガティブな感情に変わっていく。このネガティブな感情で覆われ、未来への道がみえなくなっていく。未来への道がみえなくなるのでさらに不安が募り、「未来がみえない」から「未来がない」に変わる。負の連鎖が起きていく。
“みえない未来” に、人そして社会は不安を感じている。未来がみえなくなるから、人は絶望する。どうすれば不安を感じなくなるのだろうか。

「扉の向こう側に在るものは、なにか。」

扉の向こう側に在るもの、それは希望そして未来。希望あふれる未来の存在がわかると、未来がみえてくる。希望や未来を感じると、安心な気持ちになれる。安心し勇気づけられ、未来への道を歩き始める。最近、「未来がみえない」「未来がない」とよく聞く。希望や未来は、本当にないのだろうか。

「みせることで、伝える。」

この数年の活動を通して、希望や未来が在ることを私は知った。希望や未来がないのではなく、希望や未来が在ることを “知らない、みえていない” だけ。在ることを知らないから、ないと思い込んでいる。いつしか信じ込み、言い聞かせている、「希望や未来がない」と。
希望や未来は抽象的でカタチあるものではないから、みようと意識しない限りみえてこない。また私が知った未来は兆しに過ぎず、希望の光も薄く弱い。しかしそれは在る。みえていないものが在ることをどうすればみえるのだろうか。

みえないのであれば、みえるようにみせればいい。みせることで、在ることを伝えればいい。

「希望そして未来が在ることを伝えること」、これが私の役割だと。私の扉が開き、私に伝えてきた。


扉が開くと、なにが起きていくのか

扉が開いてから、4つのアクションが起きていく。人や状況によってすべて起きるとは限らないが、次のような順で起こるだろう。

① 未知なるモノ(人や知識など)と出会う
② 今までみえていなかったモノに気づく
③ 新しい何かを発見する
④ 扉の向こう側とつながる

「 開く → 出会う → 気づく → 発見する → つながる 」を一つのプロセスと考える。扉の向こう側とつながるとは、向こう側を認識すること。認識できると、人の心(内面)に変化が起こる。人の心に変化が起こることで、社会に変化が起きていく。『扉で、どのような変化を促すのか。』 でふれた「どうなりたいか」を改めて書いてみる。

“私が” 変化を起こすのではなく、“私は” 変化を促すきっかけの一つになる。
変化の中心に私がいるのではなく、扉(私)を通り抜けた人が変化を起こしていく。

人や社会の意識の変化を促す触媒(カタリスト)、これも扉である私の役割だ。

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