なぜ、“そこまでして” 献血をし続けるのか。
今日も無事献血をしてきた。
この二年間、毎月1回献血(血小板の成分献血)をしている。
2013年からの六年間だけで、68回献血をしてきた。(通算、83回)
「献血が趣味?」と思われるかもしれない。
いや、決して趣味ではない。
人間ドックで、二年連続「献血の回数を控えてください」と指摘を受けた。
理由は、ヘモグロビン濃度が右肩下がりに減っていたから。
減少している理由が、他の検査結果からわからず、先生は首を傾げていた。
私は、献血や人間ドックの結果を、ずーっとデータ化している。
ヘモグロビン濃度が右肩下がりに下がっていることにも気づいていた。
すごく気になっていた。
そのことを先生に伝えたら、さっきの指摘を受けた。
ただ、指摘を受けたからといって、回数を減らさず献血は続けた。
三年目には戻ったので思わず、先生に言った。
「どうですか、もう大丈夫ですよね」と。
すると、ぴしゃりと言われた。
「まだ男性の基準値に達していないです」と。(確かに、その通り)
ただ、もう指摘は書かれなくなった。
ヘモグロビン濃度が基準に満たず、献血できなかったことが何度かある。
一回は、12.0g/dl未満のときがあった。
男性では貧血数値で、看護師さんから心配された。
なので、毎回「ヘモグロビン濃度大丈夫ですか?」と採血時に聞いている。
今は食事などに気をつけているから、問題なく献血はできている。
毎回採血と献血で針を刺されるとき、目を背けている。
痛いのもあるけれど、怖い。
何回針を刺されても、怖いものは怖い。
ここまで書けば、わかってもらえたと思う。
趣味で 、“そこまでして” 献血はしないことが。
そう、献血する理由がある。
人間ドックで指摘を受けた時に、“そこまでして” 献血する理由を話した。
すると、「本末転倒ですよ」と温かい言葉が返ってきた。
そう、なぜ、“そこまでして” 献血をするのか。
理由は、二つ。
一つは、母親が入院中、ほぼ毎日輸血をしてもらい、命が助かったから。
どうすれば、このご恩を返すことができるのか、考えた。
輸血で助けてもらえたから、献血をしようと決めた。
恩返しでなくて、恩送りをしようと。
できる限りのこと(年間献血制限回数12回)をしようと決めた。
もう一つは、ちょっとシビアな話になってしまう。
輸血用の血液が足りていないと、どんな問題があるのか。
まずは、救える命が救えない、という問題。
輸血を必要とする人が、必要なときに輸血できない状況になってしまう。
さらに、もう一つある。
限られた輸血用の血液を、何に使うのかという問題。
救命に使うのか、それとも延命に使うのか。
この話は、かなり重たい話なので、止めておく。
勘のいい人なら、何を言おうとしているか察してもらえると思うので。
できれば、想像してほしい。
想像するだけでも苦しくなると思うけれど。
お願いする方も、お願いされる方も、決断する方も、心苦しくなる。
誰の心も救われない。
救命か延命かという、私が体験した悲しい選択肢をなくしたい。
同じような体験を他の人にはしてほしくない。
なくすにはどうすればいいかを考えた。
その答えが、献血だった。
私の今できることを、健康であるうちに、まずしていこう。
そう、2013年に決めて今も続けている。これからも。
あと、献血を毎月してよかったことがある。
体調管理が常にできること。
一回、市販の風邪薬(葛根湯)を変えてしばらくした後、献血をした。
すると、肝臓の数値が信じられない異常値だった。
お酒は飲まないので気になり病院に行くと、薬の副作用が原因だった。
そして、誰からも「ありがとう」と言ってもらえること。
感謝の言葉って、すごく気持ちよくなれる。
感謝の言葉って、人を前向きにしてくれる。
献血は、人のためでもあるけれど、自分のためでもある。
人のためが、自分のためになるのが、一番の幸せなのかもしれない。
そう、今日も、幸せを感じた一日だった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?