モノサシ。
「モノサシ」
モノサシの役割は何だろうか。
小さかった頃は、チャンバラなどに使っていた。
昔の話を聞くと、孫の手のように使って背中をかいていたらしい。
実際、背中をかいた記憶がある。
最近は、カッターナイフ替わりに紙や封筒を切るときに使っている。
一般的には、何かを測るために使っている。
本物のカタチあるモノサシは、大きさや量などを測る。
しかし大人になると、私だけのカタチのないモノサシを持つようになった。
相手からは見えない、あるのかないのかもわからないモノサシだ。
そのモノサシを使って、人は相手を評価する。
大人になって使うモノサシは、
持ち主本人の価値観や倫理観などが目盛りになる。
いや、目分量という、曖昧でいい加減なものかもしれない。
モノサシは主観的であるにも関わらず、客観的な指標として使っている。
それは、一般的な測り方から、そういう先入観を持っているだけ。
世界観がそれぞれ違うにも関わらず、
“私の”のモノサシだけで測ることにそもそも無理がある。
このことについて、もう何年も違和感を持っていた。
モノサシがないより、ある方がいい。
ただしモノサシは、相手を評価するためではなく、
自分を律するために使うものだ。
自分や所属するグループ(業界、地域、年齢層)の価値観を、
押しつけるためではない。
押しつけるために使うモノサシは、
人を傷つける凶器の役割になってしまっている。
このことは注意していきたい。
そういえば、モノサシを使いすぎると、
目盛りがかすんで測ることができなくなる。
たまには、目盛りの確認も必要だな。