想いや願いが、糸をつなぎあわせる|ドラマ感想
これは、以前使っていたブログに当時観ていたドラマ『Woman』から感じたことを投稿した文章。読み返して今も大切だと思い、色あせない言葉が散りばめられたドラマだったので、改めてnoteに投稿することに。
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『Woman』の第7回では、いろいろなことが散りばめられた回だった。相関図はこちらに。
今までは、“今を生きる” 小春(満島ひかり)を中心にした流れ。今回は、“これからどう生きてきたのか” そして “どう生きたかったのか” という信(小栗旬)を中心にした回だった。
予想していたとはいえ、信も恵まれた環境で生きてきた訳ではなかった。信と小春はお互い似たような環境に育ってきた。なぜここが気になったかは、“似たような環境” が貧困問題に関係するから。
ドラマとは少し外れるが、私はビジネススクールで経営学を学びながら、社会学(母子家庭の貧困)を研究したという変わった経歴の持ち主なので、この点について少しふれたい。
一般に貧困の連鎖とは、親から子どもへ貧困の世代間継承をさしている。親と子どもの関係性だけで捉えがちになるが、研究者は親同士の関係性も調べている。
母子家庭の母親も、ひとり親に育てられていた割合が実は高い。そして母親のパートナーも、ひとり親に育てられた割合がないかどうかについて研究者は調べている。親子間のタテの階層性に加えて、親同士のヨコの階層性も実はある、あまり知られていないが。
“似たもの夫婦” という言葉があるが、この “似たもの” は性格などだけでなく生きてきた環境なども実は含まれている。
さて話を元に戻すことにしよう。
信が母親の背に向かって感謝の言葉を言うまでは、「“一人で” 生きてきた信」だと私は思っていた。しかし、信は母親に対して、“独りではなかった”と伝えた。母親のように恨みのひとつでも言いたくなるところなのに、信は母親に感謝の言葉を伝えた。これが、信が家族とともにこれから生きていく決意を表したのではないかと思った。
憎しみではなく、相手を思い遣る感謝の気持ち。
前回の「つながり始めた糸」の糸をつなぎあわせたのは、信の想いだった。信の想いそして願いが、もう一度糸をつなげた。
紗千(田中裕子)と小春の、母と娘の糸。
栞(二階堂ふみ)と望海ちゃん、陸くんの、子ども同士の糸。
小春と栞の、姉と妹の糸。
この糸が切れずにつながり続けることで、信は今もこれからも生き続ける。そう思うと、希望の光がみえた。
最後の栞の告白。
信の想いを知った栞が小春に真実を話すのは、あのタイミングしかなかった。始めは告白と同時に、栞は家を出ていくと思った。そうすることで、紗千と小春の親子は仲直りできるから。しかし、あの手紙で栞の心に変化が生まれた気がする。みんなの家族の輪の中に、自分も入りたい、仲良くなりたい。
人によっては、信を死に追いやった栞の行動をわがままと映るかもしれない。いや、多くがそうだろう。ただ内に内にしか思えなかった栞が、初めて閉じた扉から外に出ようとしたと映った。栞も、告白したら小春がどう想うかもわかっていたと思う。それでも、みんなと仲良く一緒に生きていきたかったんだと。
このように思う栞をどう思うかは人それぞれ。ただ、栞の立場に自分を置き換えてみると見えてこなかったものが見えてくるのかもしれない。置き換えるというより、思い遣るの方が適切だと思う。
次回の予告では、小春は家を出ていくことを決めるようだ。そして栞も家を出ていきたいと告げるよう。しかし、そうはならないと思う。いや、思いたい。それは、なぜ望海ちゃんと陸くんに栞が読んであげた手紙の一部が仲直りだったのか。
信のことを誰よりも愛した小春だからこそ、信の想いを尊重すると思う。自分の感情を殺してでも。
覚悟とは、自分を殺してでも相手のことを想う決意。
小春が栞に言った言葉が、胸に刺さる。
「信さんは、死んだのではなく、生きた。」
予告編にあった澤村先生との会話を少し紹介して終わりたい。
「生きていることが当然と思っている人間には生きることはできません」
「覚悟とは想像することです」
いろいろな伏線が散りばめられ、余韻にひたりながら書いている。セリフひとつひとつの言葉が丁寧で、行間を読むのが楽しい。
改めて、日本語の美しさを感じるドラマ。グローバル化としての英語に力を入れるよりも、日本語という美しい言葉をもっと伝える教育が今こそ必要だと改めて思う。このドラマが最後どこに向かおうとするのか、非常に楽しみだ。
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