斬って、隠して、開くのを待つ。
最近、怒る人が多くなった。
年々、怒る人が増えている。
何よりも、昔の自分を見るようで、恥ずかしくなる。
昔はなんで、あんなことで、瞬間湯沸かしのように、怒っていたのかと。
怒る時には、ものすごくエネルギーを使う。
だから、怒った時、疲れる。
そして、なんであんな言い方をしたんだろうと、悔やむ。
疲れ果て、自己嫌悪に陥ることが何度もあった。
ただ、寝たら忘れるというタイプだったんで、
次の日には、エネルギーが戻った。
わかる人にはわかってもらえていた。
怒ることが大変なことを。
でも、わかる人は第三者。
当事者にはわからない。
時がたてば、わかってもらえることもある。
でも、これは自己正当化にすぎない。
怒らない方法があったはず。
声を荒げて、すごい剣幕で怒る時は、本当に怖いとは思わない。
どちらかといえば、「うるさいなぁ」程度にしか思わない。
冷静に怒る人を見ると、そうか、相手もそう思っていたことに気づいた。
本当に怖いのは、怖い人が何も言わなくなること。
淡泊に、「わかった」と言われることほど、怖いものはない。
怒る前に時には、煙幕を張ることもある。
煙を巻きながら、相手の様子をみて、じらすように相手を伺う。
煙が濃くなると、姿がみえなくなる。
剣幕に煙幕。
どちらにも、幕がある。
幕を斬るように、怒る。
幕で身を隠すように、しらを切る。
どちらも、自己防衛。
自己が強すぎるからだろうか。
どちらも強く、濃くなる。
相手を認めずに、自己をもつと、少しやっかいだ。
この時は、自己(セルフ)ではなく、自我(エゴ)になっている。
我と汝。
二つの間の幕が開いて、お互いの顔が見えると、
どんな感情を抱くだろうか。
どんな幕が開くのだろう。
どんな舞台が待っているだろか。
そして、どんな幕引きが待っているのだろうか。