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〜怪我の功名?にする〜

〜アラカンの独り言〜

このところ立て続けに怪我をしてしまった(笑)で手が使えないので、生活範囲も縮まり行動制限も出てしまった。もちろん言い訳であるがpcにも制限。治すことだけに集中して生活をすることにした、この数ヶ月。動けること、自由である認識のがあったこと、そして肉体が健康であることが最大の基礎となる価値であること。


価値とは、人とは異なる何かを持っていることだけではない!

この価値、自由、健康、時間の使い方など、今回のことで考えることが以前にまして増えた。

今までなら、いや、数年前までなら、体を壊せばネガティブに捉え落ち込んできたことが、今はその落ち込みの時間ももったいないと捉えるようになっている。


これは、以前より精神的に成長したと捉えていいかもしれない。スピ系で言うなら「波動が上がった」と言うところだろうか。

 その、スピ系で言うなら「なぜ私だけ」ではなく、その現象を自分が起こしていると言うならば、その起こしている現象を検証してみた(思考認識で)


これは怪我をした場所にもよるので、全ての人に当てはまるわけではない。ただ、視点を変える部分としては参考になると思う。

 まず、今回のそれなりに大きな怪我をする前に、小さな怪我を2回している。これが完治する前に起こった出来事。今回の怪我とその前の怪我をする元となった思考が同じところにあることに気がついた。同じ方向の怪我である。この元となる思考は仕事場の人間関係によるものから起きている。人間関係で起きていることの現実をどう捉えるかによるもの。

 昔から思考癖としてあるのが「我慢する」と言うのがある。これは自分の中ですることなので、他人から見て我慢していることに気がつかない。なので同じ現象が続けて起きるコミュニケーション(人間関係が続く)。


 広い枠で言うなら、この「我慢した」が、今回の怪我の元となった。


検証として、その、我慢をやめてみた。すると不思議なことに人間関係は変わらないが、コミュニケーションが変わったのである。基本的にこちらの話し方、伝え方、行動は一歳変わっていない。どころか主張ではなく、伝えると言うことをした。すると相手の行動、言葉使い、気の使い方、いい回し方などが、大きく変わったのである。


これには驚いた!

 過去に主張したことはあるが変化したことはないので、尚更。

解説をするなら、ネガティブに落ち込みをする自分をやめて、今ある現状から、自分が我慢しない状況を作り替えたということ。「できないことは「できない」と言う」と伝えること。もちろんこの怪我が幸いした。好転した!と言うことになる。

 

ほとんどの人ができていることを、ようやくできたのである(笑)

昭和の人間であるから、「我慢するのが当たり前」と言う時代を自分で終わりにし始めたのである。

目に見える怪我というものが、幸いして、言うべきことを言える状態になったと言うこと。

これが「怪我の功名」で得たこととして捉えた今回の事件である(笑)




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