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乾燥機の時間だけ

40分足らずで洗濯から乾燥までを終わらせてくれるコインランドリー。その早さはもちろん技術の進歩もあって喜ばしい事なんだろうけど、一旦拠点に戻るのか、それとも椅子に座って持ってきた小説を読むのか、その判断が難しいくらいの時間を僕に与えてくれた。

知らない町の、知らない道。
この先をずっと行って、自分に馴染みのある風景に行き当たるのにはどれくらい歩かなきゃいけないんだろう。
20分歩いて、また同じ時間を20分かけて戻ろうか。そんな漠然としたプランは開始2分で覆されることになった。

なぜなら、お寿司屋さんを見つけたから。

全く気取らない、よく町中に古いまま残ってるような、そんなお寿司屋さん。知らない町で、その町を知るために一番都合の良い店は、こういう寿司屋に限る…というのがこの人生で得た一つの知見だった。

「入ってみようか」
そう思うのは、僕の特性なのかもしれない。

カウンターではご常連さんが一人既に顔を赤らめていた。
お客さんはその人だけ。

「いらっしゃい」
利休帽の大将は僕を眺める。

「ハイボールを」
「ハイボールってぇと、あれか。ウイスキーの」
「あ、ええ」

しまった…と思う。
きょうび、ハイボールのない寿司屋なんて僕は遭遇したこともないが、ほんの20年前ならそんな店は普通だったのだ。
ハイボールというのは「昭和レトロ」な飲み物で、今で言えば「電気ブラン」という響きから感じるレトロさと同じくらいの威力があった。

当時、人気女優を登用した酒造メーカーの懸命な宣伝広告が奏功し、若い人のウイスキー離れを食い止める結果になったのだが、その立役者となったのが、今では当たり前にどこのお店のメニューに含まれている「ハイボール」なのである。

「ねぇんだよ、悪いね」

寿司屋にない飲み物を頼んでしまってバツが悪くなった僕は「じゃあ、ビールを」と言った。

「悪いけどそこから自分でとってくれるかい?その方が早く飲めるよ」

右を見ると冷蔵庫に、並んだ瓶ビール。
お店の什器を、許可をもらってるとは言え自分で開ける行為には、薄い背徳感がまとう。

これは、初客への洗礼なのかもしれない。
順応せねば。

ビール瓶を取り出した僕に、常連さんが「王冠、そこ」と指を指した。
瓶ビールを開ける栓抜きは冷蔵庫の上。
外した王冠は、白い容器の中。
なるほど、と悟る。

「コインランドリー待つ間だけですが」と席に座りながら言うと、「あそこか!あそこはもう2回改装しているが、大昔からずっとコインランドリーなんだ。需要があるんだな」と、大将。
常連さんが同調する。

この町の、片隅にある昔話を、もう聞けた。
そして次々と、僕はこの二人から、この町の昔話を吸い込んでいく。
たまらない。

こうなると、40分という時間は早すぎる。
僕が頼んだ赤身の刺身以外にも、小鉢に入っためかぶや、ピーマンと豚肉の中華炒め、烏賊そうめんとトビコを和えたもの…次々出てくる。
「良かったら食ってくれ」というまま、手元が埋め尽くされていく。

「焼酎は、あるんですよね?」
「焼酎、あるよ。麦?」
「水割りでお願いします」
「二階堂でいいか?」
「あ、二階堂、好きです」

「…香ばしくて」と付け加えようとしたが、やめた。
無理して話を盛り上げようとしているように聞こえるかもしれなかったから。

がたりと常連さんがイスから立ち上がり、お店の壁に埋め込まれた収納の扉を勝手に開けているのを見る。おおこれは、この店に長く通った人にしか許されない「常連しぐさ」に違いない。

そしてその収納から、オレンジ色のラベルの「二階堂」を出して、奥に入った大将に「酒、こっちにあるから」と言った。
「え?」と顔を出した大将に、ご常連さんは「俺のボトル」と言って、次に僕の顔を見て、そのボトルをこちらに差し出した。
「これ、俺のボトル、好きに飲んでよ」



40分、もう、超える。
「乾燥、延長してきます!」
僕は100円玉を2枚持ってコインランドリーに走る。
「あいよっ」と大将。
乾燥はもう済んでるはずだけど、もう少し居たいから、その口実のために乾燥機を余分に回すのだ。

3人だけの店内は想像以上に騒がしかった。
先日亡くなった噺家さんを取り上げた特番で、20年前に放送された演芸番組が、置かれたテレビから流れている。その笑い声が、この店に大勢いる酔客に聞こえたからかもしれない。

街ゆく人の表情が、マスクで隠されるようになった時代。
「僕は20年前に来ちゃったのかもしれないな」
僕もまた、マスクで表情を隠しながら、大口を開けて笑った。

少しだけ揺らいだ視界。
車道脇の歩道を、急ぎ歩く。

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