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「それ系」のゲームに苦手意識のあった僕が「ゼルダの伝説 Breath of the Wild」をやった結果

「ゼルダの伝説〜ブレスオブワイルド〜」通称ブレワイ。
「至高の神ゲー」で「絶対やったほうがいい」のだそうだ。

ちょうど1ヶ月前。
僕はとあるコンサートの楽屋で、同じく出演する二人のピアニストから、力強い説明を受けていた。
「へぇ」とはぐらかして話題を変えようとするも、ピアニスト達は語気を弱めない。
申し訳ないのだが、興味は沸かなかった。

ゼルダっていったら、子どものときに同級生が騒いでたあのゲームだよね。それの続編が今でも続いてるってこと?
スマブラのキャラで見たことあるけど、あの人がゼルダだよね?人っぽいキャラクターって珍しいからさ……え、違うの?
ややこしいなぁ。
あのキャラクターがリンクっていう名前なら、タイトルも「リンクの冒険」とかにしてくれたらいいのに。

こんな程度。

過去にいくつかの「そういう」ゲームをやった経験はある。だからこそ知っているのだ。ああいうタイプのゲームが苦手だということを。

途中で強いボスが現れ、どうやっても勝てなかったら「はい、ここから先はそういうのが得意な方々が楽しんでください」などと捨て台詞をはいて早々にゲームを諦めてしまう。

「自分にできないことは、さっさと諦めることにする」というひねくれた性格は、おそらく早生まれで体格が小さかった幼少期に形成されたものだと思っている。なにごとも競わせるような当時の教育で、3月31日生まれの自分が、1年も前にうまれた4月生まれの人に勝てるはずがないのだ。
やるだけ無駄だから、その分べつのことに時間を費やそう……と自然に考えてしまうわけだ。

ましてやゼルダというゲームは「パズルの要素もある」らしい。ああ、無理無理。せっかちで、まどろっこしいのも嫌いなのだ。
謎解きゲームで、答えはA・B・C・Dのどれでしょう?と聞かれたら、ヒントも聞かずにA→B→C→Dと上から順に選んでいき、Bで入れたら「早く終わってラッキー」などと思う。
強すぎる敵と、意味不明なパズルが混じり合うゲーム?
ますますやりたくない。時間の無駄だ。

と、思っていた僕が
「そこまで言うなら、ちょっとだけゼルダを触ってみるかな」
と、ついに思った理由は、二人が楽しそうにゲームの話をしているのに混じれずにいたからだ。その二人との、ひいてはそのゲームをやったことがある人との共通の話題が欲しくなったのだ。

全国を旅行する動機が「人との話題を増やすため」という、自分らしいとも言える。

コンサートが終わって少し時間ができたので、買うはずのなかったゼルダを買ってみた。教えられた通り「ブレワイ」というのを買った。「ティアキン」というのもあるのだそうだが、自分には意味不明な説明だったので理解ができなかった。とにかく「ブレワイ」というのを買えばいいのだそうだ。

ゲームを始めると、スキップできないムービーが始まってイライラした。
基本的に穿うがっているので「知らんよ、おたくらの事情なんて……」などとブツブツ言いながら、ようやく始められる状態になるまでは、テーブルの上にあった洗い物の皿を台所に運ぶなどし、コントローラーのボタンを連打しながら次に進めた。
さて、ようやく自分の意志でキャラクターを動かせるようになったと思ったら、洞窟から出てまっすぐ歩いただけで、急に崖から落ちてゲームオーバー。
「は?」
崖から落ちただけで死ぬとは思っていなかったので、舌打ちをしながら、ゲームを勧めてくれた二人の居るLINEチャットに「秒で死んだんだけど」と書き込んだ。

先が思いやられる。
視点も動かしにくいし、秒で死ぬし、何が面白いんだ。わからん。

LINEチャットを見ると「そこから見える場所、全部に行けます。楽しんで下さい」と返信が来ていたが、見える場所に行こうとすると、落下の衝撃で死ぬだけだ。行けないじゃん。

ゲームを進めるためには飛ぶ道具が必要なことを知り、もったいぶってそれを出そうとしない老人からの指令に従い続け、ようやくパラセールという道具をもらって高い場所に登ったときに、ようやくチャットの文章の意味が分かる瞬間が訪れた。

「これ、どこに飛んでいっても良いのか」

そう。
「AをクリアしないとBに行けない」というかせは無く、どこに行こうが、何をしようが、ゲームの進行がスタックしない(詰まない)設計になっていて、「まだ自分には早いな」と思える敵が現れたら、諦めてしまえばよいのだ。諦めて、自分の身の丈にあった敵を倒し続けていれば、自ずと「あの時はこうすればよかったのかも」と気づくようになる。

よくできている。

なんにせよ、選択肢が一つではないのだ。
例えば「ここに火をつけよう」と思えば、たいまつを持って来るでも良いし、火の矢を使っても良い。木を切って薪を作り、火打ち石で火を起こしても良い。鉄製の武器を置いておき、雷を落としても良い。
押し付けられた手順に沿い続けるという必要は無く、自分なりに「こうやればできるかな」と思ったことをやってみた結果、奏功し、次に進めたりしてしまうのだ。

結論から言うと、寝食を忘れて没頭した。
承前のとおり、まどろっこしいのが嫌いなので「地図で黒い(開放されていない)部分がある」状態から抜け出すことを当面の目標とし、不慣れながらも3日目が終わる頃に全ての塔に登りきり全体のマップを俯瞰できるに至った。
その話をくだんの二人のうち一人に報告すると「そういう進め方する人はあんまり居ないのでは……」と言って笑われた。

地図上には無数の「ほこら」が点在していて、祠を発見して中に入るとたいてい物理的なパズルを解くことになる。これは面倒なので全て解説サイトを参考にして、答えを見つつ最短でクリアしていく。
「そのゲームの醍醐味を感じてない」と思われる方もいらっしゃると思うが、当の自分は、思っている以上に楽しんでいる。
一つ一つの試練(ゲーム内でパズルがそう呼ばれる)も、決して詰むことが無い設計になっているのを「なるほどねェ」などと感心しながら眺めているだけでも結構楽しいのだ。

その世界の中では、獣神と呼ばれるちゅうボスが4体居て、その中ボスに行き着くために、またも大規模な物理的パズルを解く必要があるのだが、攻略動画を参考にし、一切考えずに言われたとおりに進めていくほうが自分に合っている。
2番目に行った雷の神獣というのを倒すのがいちばん厄介だった。全然倒せない様子を見かねたのか「打ち込まれた避雷針を敵の体に寄せてみて!」と攻略のヒントがお情けでもたらされるのだが、「ゲーム下手に対してめんどくさいこと強要しやがって!」と恨みつつ、回復のゴリ押しと、偶然の産物でなんとか倒すことができた。
どうやら雷の神獣が中ボスのなかでは一番強かったらしく、その後にどんな操作の強要が待っているのか先の自分を憐れんでいたところ、意外にもあっさりと残りの2体が終わってしまった。

と、このあたりから、ゲームに対する感覚が明確に変わったのを実感する。
ゲームの終わりを見たくない気持ちに気づいたのだ。
残すは最後のボスだけなのだが、行きたくない。

偏屈な気持ちで飛び込んだ世界だったのに、さまざまな土着の世界観に触れ続けた結果、その世界にこれほどまでの愛着が湧いてしまった。
今は、残されている貴重な要素(祠とかミニチャレンジ)を堪能しているところ。それさえもコンプリートしてしまったら、満を持して終わりに向かおうと思っている。
全てをクリアし終わったら、リセットしてまた最初から。
今度はもっと丁寧に、用意されたストーリーも味わいつつ進めていこうと思う。

自分の楽しめる方法で進めていけるように、多様な向き合い方を許容してくれるゲームの世界に出会えたことを、とても嬉しく思った。
今度あの二人に会ったら、きっと僕も同じ風景を思い浮かべながら話せるはずだ。

でもどうせ「ティアキンを」とか「ドラクエも」とかいう話になるに決まっている。行かなきゃいけない世界が、まだまだたくさんありそうだなぁ。

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事務員G
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