歌い手がCDを作り始めた頃の話

「インターネットを使って歌ったものを公開する」という一つの動きが、若い人たちにとっての楽しい遊び場になっていった頃、僕はつねに「どこかにいい人は居ないかな」と探していた。いまだから白状すると、その理由は「自分のイベントに出てもらうため」だった。イベントを作っても、出てくれる人が居なければ成立しない。それだったらこちらから出てくれる人を見つけに行かなくちゃという気持ちで、それはそれは俊敏に動き回っていたし、夜になればサービスが始まったばかりのユーザー生放送に行き「歌ってみた」のタグを巡回していた。

もちろん、ホテルの仕事をしている頃だったので休みは週に2日。土日が忙しいはずのホテル業務で、本当に無理を言って土日を休みにしてもらい、ほぼすべての休みを東京で過ごした。西にライブがあると聞けば行き、東でオフ会があると聞けば顔を出した。給料はすべてガソリン代と宿泊費に消え、それでも足りず親に金を借りたこともあった。

歌い手は、自分の生放送で「凸(とつ)」と呼ばれる方法で番組を盛り上げている。凸は「突撃」の意味。生放送をしつつ、スカイプ(ネット通話)のIDを晒しておくことで「誰か知らない人が自分の生放送に登場してくる」というアトラクションを用意しているのだ。僕はここでその「凸」をする側に回った。ピアノとマイクを用意して、生放送中の歌い手のスカイプを鳴らす。そしてこう言った。「僕はピアノが弾けます。なんでも好きな歌を言ってください。その伴奏をすぐに弾くので、スカイプを通して流れてきた伴奏に合わせてあなたは歌ってください。楽しいでしょう。」と。そして最後に「僕は事務員Gと言います」と言うと、大抵の歌い手さんは「えっ!まさか!」と言ってくれた。__後に「そんな事してきた人、今までいなかったから本当にびっくりしましたよ」と笑いながら話してくれたのは、天月君だった。

誰もが放送できる生放送を「ユーザー生放送」と言ったが、これとは別に「公式生放送」というものがある。運営の主導する放送だ。その公式生放送の一つの番組で「生歌オーディション」というものがあった。歌を歌う生放送配信者を実際に集めて、オーディション形式で勝ち上がらせるという番組だったのだが、僕はこれもチェックしていた。その番組で上位に食い込んだ子は札幌の人で、東京に来て路上ライブをするということになったので周囲が騒いでいた。「これは絶対に見に行きたい」と思ったのだが、仕事の休みが合わなかった。急に変えることが許されなかったのは、すでに自分がかなり無理な休みのとり方をしていた頃だったからだ。

諦めきれなかった僕は、仕事が終わって、すぐに車で東京に向かった。あたりはもう日も完全に落ちて、誰の顔かもわからない暗さになっていたのだがようやくたどり着いたときには路上ライブは終わっていた。しかし、その子は僕の顔を見て「Gさん来てくれたからもう1曲やるね」と歌ってくれたのだ。「少年Tって名前でやってたのは、事務員Gさんが居たから真似したんだよ」という、嘘か本当かわからないようなリップサービスをしたその子は、今は佐香智久という名前で変わらず活動している。

そのT君が泊まる場所は東京の東の方だったので「荷物が多いから大変でしょう、僕の車に乗せて、連れて行ってあげる」と言ったらすごく喜んでくれた。しかし、せっかく東京に来たのに歌って帰るだけじゃ面白くないだろうから、ご飯でも一緒に食べないかい?と誘ったら、数人が僕の車に乗り込んだ。

ジョナサンで「いつか僕も自分のCDを出してみたいなぁ」という話をする3人を見ながら、ネギトロ丼を食べる僕。「出せるよ、そういう時代になるよ。」とだけ言って、味噌汁をすする。みんなで「無理だ〜!」「じゃあ僕のほうが無理だ〜!」と笑いあっている。

その後、本当にCDが出た時はとてもうれしかったし、今でもみんな出し続けているのを見れているのは本当に幸せなことだと思う。

そらる君、天月君、佐香智久君。

あの時おごったジョナサンの会計のお金は、僕は母親から借りてたんだ。

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事務員G
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