24/8/4 END ROLLが終わっても赤い
空も空気も本当に夏らしい天気。
日比谷野外音楽堂に対して強烈に夏のイメージを持っている。
日比谷公園や日比谷野外音楽堂はなにか夏が似合うように思う。野音にはそんな頻繁に来ているわけではないのに。夏に野音で観たのは、NUMBER GIRLの再結成ぐらいしか記憶にないのに。
そんな夏の野音の前には赤い装いの人たちが多くいる。今日はGEZANのライブ。野音の入り口の前辺りで友達を待つ。隣にいたグループの一人は、中国から遥々と観にきたらしい。胸が少し熱くなる。
友達から暑さで体調不良気味で遅れるとLINEが来てから、返事もなければ既読もつかない。開演の時間がどんどん近づいてくるが、やはり既読もつかない。やきもきする気持ちと心配の気持ちと暑さがむわむわとしている。なにかこちらも少し元気がなくなってきた。結局開演の時間なっても既読がつかなかったので、チケットをLINEでシェアして、それでもちゃんとダウンロードできるか心配だったので、少し待って、やはり既読がつかないので会場に入ることにした。
ようやく会場に入っても、やはり元気がなかったけど、『blue hour』の「押し花がもう一度花になるイメージ」という一節で蘇った。押し花がもう一度花になった。
目の前に父親に抱えられてライブを見ていた男の子がいた。赤いバンダナを巻いて、水色のTシャツを着ていて、夏の空みたいだった。その奥に赤い空がある。
アンコール前は新曲2曲、どちらもよかった。そしてアンコールは『待夢』と『Absolutely Imagination』。
「また永遠に負けるの」という一節は、僕に刻まれている。そう言えば今日演奏された新曲でも「永遠を殴る」みたいな歌詞があった。ただ、やっぱり永遠を求める心も、永遠を信じたくなる心もある。『Absolutely Imagination』では「永遠の正体は神様が女を口説く時の嘘 それでもその嘘を信じたっかた 信じている自分といたい」と歌われている。永遠に対するジレンマや相反性、愛憎、両儀的な気持ちがある。大切なことは覚えていたい、留めておきたいし、記録したくもなる。だけど、今この楽しいときは記録するためにあるのではないし、留めるためでも、記憶するためにあるのでもない。どうして記憶したいと思うのうだろう。なんなら綺麗さっぱり忘れてしまってもいいはずなのに。今このときを全力全身全感覚で楽しめるなら。でも、そうやって忘れたくないとか、そういった寂しさを感じながら踊るのもきっといいことだ。そうやって楽しさと寂さをステップするように踊るのが、どちらにもなれないように踊るのが人間らいしのかもしれない。永遠への愛憎の中で踊るのがいいのかもしれない。そしてこの文章だって矛盾の表れだろう。
ライブが終わって、LINEをみたら既読が付いていた。とりあえず無事でよかった。本当に、みんな元気でいてほしい。
ライブが終わって、少し座ってぼーっとしてたら、隣の席のベンチの下に忘れ物があることに気付いた。もしかしたら戻ってくるかなと思って少し待っていたけど、来なかったので、とりあえず回収した。会場の物販列や外にいないか探したけど、やはりそれらしい人はいなかったので、会場の出口でフライヤーを配っているスタッフに預けることにした。ちゃんと預かってくれるか心配だったり、手続きとかめんどいかなと思ったけど、忘れ物の中身が着替えとかだったので、かつ隣は女性の方だったので、やはり僕が預かるのは、まあ問題があるだろうなと思ったので、受付に預け、Twitterにそのことを投稿した。霞ヶ関駅へ向かう途中、後ろから『END ROLL』を熱唱する男の声が聞こえた。
「エンドロールに名前がなかった だから僕ら 旅を続けなくちゃ」
帰りの小田急線の中、忘れ物の持ち主からリプライがあった。まさか本当に届くとは思わなかった。なんだか僕まで嬉しくなった。GEZANとか夏とか説明できない色々な何かがマジックを呼んだ。END ROLLが終わっても赤い日だった。