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【日記】23/9/1〜9/3 第2回小鳥書房文学賞一次審査通過作品

9月1日

9月。風がさわやかに吹いている。

3時頃に目が覚めてしまい、 2時間ぐらい寝つけなかったので眠い。
深夜に目が覚めたとき、タバコが呑めたら救いがあるんだろうなと思う。
引き戸をスライドし、サンダルを履き、タバコに火をつける。2時間後には、光に飲まれ消えゆく月を見上げ、煙を吐く。吐息で作る、人為的朧月。
深夜にふと目が覚めた時間というのは不思議だ。昨日のボーナストラックのようでもあり、今日のエピソードゼロのようでもあり、どこでもないようにも感じる。

日中はシャキッとしなかった。部屋に流れ込んでくる風も、身体をふわふわとせる。仕事中、幾度もぼんやり外を眺めた。風のお陰で、クーラーをつけずに済んだのは、嬉しかった。

夕方、最近出会った友達と近所のお茶屋さんの前で待ち合わせる。
まずは小鳥書房を案内した。その友達が小鳥書房店主の落合さんに、最近国立に引越してきたと話したら、落合さんは「おめでとうございます」と祝福していた。国立はすごくいい町だから、この町と出会えたこと、住めたことは、確かに「おめでとうございます」だ。国立に来て、僕も初めて地元愛のようなものを感じている。

小鳥書房をあとにして、すぐ近くの炭火焼き鳥の居酒屋に行く。午後18時過ぎごろ、お客さんはまだいない。カウンターの席でマスターが新聞を読んでいた。「いらっしゃい」の声とともに、新聞をたたみ、キッチンに移動した。
ここに来たら思わず店内を見渡すことになる。暗めの店内。レンガの壁。薪ストーブ。隅には螺旋階段。天井から吊るされたランタン。いい香りがする。オイルの匂いだろうか。
レバー、ぼんじり、つくね、みそピーマンと注文していく。ここの焼き鳥は僕が今まで食べた中でも、特においしいと思っている。レバーはやらかく、つくねは食べ応えがあり、ぼんじりはしっかりと脂が乗っている。特にレバーは格別。レバーが嫌いだったけど、ここのを食べて好きになったという人を、何人か知っている。
友達のリクエストでほっけも注文する。身はふっくらと焼かれ、骨はカリカリに焼かれている。これは結構難しい技ではないだろうか。目線の先で、ランタンの小さな火が揺れている。いい夜だと思う。

居酒屋をあとにして、夜風が気持ちいいので少し散歩をする。
コンビニに寄って、ハイボールとチューハイ、ピスタチオを買う。友達にシルバニアファミリーの一番くじを奢る。AやBではなくF賞だったが、F賞の当たりだったみたいだ。

図書館の前にあるテーブルで話しながら飲む。つまみに買ったピスタチオの殻で、丁半遊びをする。同じ殻の向きの合計で丁半かを判断する。
近くにあるブランコに乗った。フワフワとして、イケナイ感じがする。ブランコが前に向かって飛び出すと、月が見えた。ブランコが前に飛び出し、最高地点で浮いた瞬間に、月に向かって吐いたら気持ちよさそうだと思った。酔っている。
僕は自分が綺麗だと思うものや、好きなものを汚したいという欲はないと思っていた。けど、もしかしたら、そんなことはないのかもしれない。

9月2日

外ではトンボが群れをなして飛んでいた。朝日を受けて光っている。
8月のいつかの涼しかった日にも見たが、そのときは1匹だった。
写真に撮ろうとしたけど、写らなかった。秋の神聖な使者だからかもしれない。

お昼は友達が遊びに来る。訳あって預かっている荷物の整理と、一部持ち帰りも兼ねて。
その前にディスクユニオンに注文していたレコードを取りに行く。オープンは11時。それまではどう過ごそうかと考える。

大学通りのロイヤルホストに入った。モーニングセットを食べながら、昨日の日記を書く。モーニングセットのパンは山型の英国風を選ぶ。卵料理はスクランブルエッグ。ここのスクランブルエッグはシェフを呼びたくなるぐらい好きだ。半覚醒的な、ゆっくりとした朝の時間が漂っている。

ディスクユニオンがオープンする時間になったので、立川に移動し、店に入り、注文していたPuma Blueの新譜のレコードを受け取る。
すぐに家に帰って針を落とすも、どこかでイベントが開かれているのか、ダンスビートやバンド演奏が聞こえてくる。こういうイベントはもっとやるべきと思っている人間なのだが、この日は人が違ったように終始不機嫌な気持ちになってしまった。

14時前、友達から谷保に着いたと連絡があったので、駅まで迎えに行く。前に会ったときはブロンドヘアだったけど、ダークブルーになっていた。ダークブルーな友達もかっこよかった。前に会ったときより元気そうだったのが、何より嬉しかった。
まずは小鳥書房へ行く。この日は小鳥書房のコーヒー豆を焙煎している方と、新しいスタッフと、店主の落合さんがいて、思った以上に長いこと喋った。レモネードを飲み、味噌汁を啜る。

僕の部屋へ移動する。友達はしばし本棚を眺めて過ごし、気持ちを奮い起こす素地ができたところで、荷物の整理へ。本が入っている箱が数箱あって、少し見た感じ宝の山だった。自由に読んでいいとのこと。ありがたい。
荷物の整理も終わり、乾杯をして飲み始める。あいまで友達はベランダで煙草を呑む。タバコに対する憧れがくすぐられる。タバコを呑まないのは、人生やはりもったいないのではないか。ただ、僕は目の前にお菓子などがあれば、つい手が伸びてしまうタイプなので、ヘヴィースモーカーになってしまうはず。それが怖い。それと、憧れという気持ちを捨ててしまっていいのだろうかとも思う。

夕方になり、友達を駅まで送る。その後、スナック水中でタコスのイベントがやっていたので、まだ間に合うかと思い行ってみた。
イベントは終わっていたけど、通常営業はしていたので、流れで飲んでいくことにした。タコスの食材を使った、トルティーヤセットとビールを頼む。近所でたまに顔を合わせる方が、Tim Buckleyの『Hallelujah』をとてもきれいな声で歌っていた。
追加でメスカルというお酒を頼んだ。はじめて飲む。出会ったことがない味だった。その味を言葉で表現することができなかった。悔しい。だけど、言葉で表現できないことがたくさんあることは当たり前で、それは豊かなことではないかとも思う。そして
、それでもなんとか言葉にしようとすることもまた豊かなことだろう。
しばし飲んでいたら、眠くなったきたのでスナック水中を後にする。家に帰って、畳の上で眠ってしまった。

9月3日

起きたら曇天の空。しかし雲が薄いのか、太陽の光が透けていた。雲が光っているようにも見えた。

部屋は昨日友達と遊んだときのまま。テーブルにグラスが置かれ、床に本が散らばっている。
部屋の片付けを始める。室外機の上に置かれた、吸い殻の入ったレモネードの瓶は、暮らしの風景に馴染んでいたのでそのままにした。

プチアンジュへパンを買いにいく。家族連れだろうか。トレーにいっぱいにパンを並べている人がいる。それを見ていたら、何かいいなと思った。子供の頃に残された憧れに触れたのかもしれない。具体的な憧れの事象ではなく、憧れという気持ちそのものに。それは僕にとってのスペシャル感であり、ゴージャス感でもあるのだろう。
塩バターあんトーストを食べながら家に向かって歩く。塩っけと甘味が口の中で戯れる。空はいつの間にか季節が変わり、雲は発酵し、ふくらみ、夏雲になっていた。

家に帰って2時間ほど寝てしまった。昼時の時間だったので、近所の友達が開いている子ども食堂にいく。
とても賑わっていた。一番奥の席に座る。目の前にいる家族がカードゲームに興じていた。反射神経を使いそうなゲームだった。
この日のメニューは夕顔と油揚げの味噌汁、コールスロー風のサラダ、辛くない麻婆豆腐。
まずは味噌汁をすする。なんて優しい味なんだろうと驚いた。麻婆豆腐もすごく優しい味がした。だけど豚肉の旨みはしっかりと溢れてくる。コールスロー風のサラダは違った意味で優しい。酸味をもって、優しさにまどろみ過ぎないようにシャキッとさせてくれる。

ご飯が終わり、子供食堂の営業も終わったので、友達と子供食堂のお手伝いの方とお客さんの一人と、近くのコミュニティスペースに行った。入り口の前に露店が出ていた。畳屋を営んでいる方が、畳のへりや余った素材、古くなった畳のへりなどで作った雑貨を売っていた。へりの見本市のようでもあった。ギラギラしたギャラクシーな柄もある。バブルの頃には需要があったとか。
ここのコミュニティスペースでは駄菓子が売っている。チューベットみたいな、2本に割るタイプのアイスを買う。割り方が下手すぎて、手がべとべとになった。
職人手作りの花火も売っていた。畳屋の店主と助手の方がそれぞれ一本ずつ買って火を付けた。美しい火花が噴きだす。ギラギラとしているのではなく、淡さがある。
火が枯れる前に、通りがかったご年配の方が畳屋の店主に話しかけてきた。商談が始まってしまったようだ。枯れた後の余韻を味わう間もなく、畳屋の店主も助手も慌てて仕事に戻っていく。喜劇みたいだった。

外に敷かれた畳の上に座る。空が赤く染まり始めた。目の前には畑がある。店からは子どもがたどたどしく弾く、『菊次郎の夏』のメインテーマ『Summer』が聞こえてくる。目の前にある情景の効果もあるけど、『Summer』という曲が表現しようとしていることが、たどたどしくも、忠実に表現されていると感じた。たどたどしいときは、一番忠実なときなのかもしれない。
日がさらに沈み、空は真っ赤に染まった。本当に赤かった。
家に帰り、ふと夕方は雨予報だったことを思い出した。今日もいい日だったんだなと思った。淋しい気持ちになる前に寝てしまおうかと思った。

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