営団7000系と父の教え

平成1桁代、未だ東京23区北西に位置する練馬は都会ではなかった。これは今日も変わらぬことだがJRが通っていない。公共交通機関というと南部を横断する西武線(大半の練馬区民が路線名を上げない西武線は無論池袋線だ)、東端部をかすめる東上線(無論こちらは東武東上線のこと)が二大巨頭で私鉄王国…ではないが23区内にもかかわらず都心に出るには乗換えが必須であった。

そんな中「有楽町線」は唯一の地下鉄として(東部の)区民を都心に連れて行ってくれる唯一の存在であった。「さっき乗換え必須って言ったじゃん」とはごもっともなツッコミだが、有楽町線の都心部の停車駅は官庁街ばかりなので結局池袋で乗り換えるハメになる。

さて、そんな平成1桁代当時まだキッズだった私はプラレールに夢中で、もちろん都会に連れて行ってくれる営団7000系(有楽町線の当時の主力車両)を…持ってなかった。

だってモデルアップされてない(はたまたはその時在庫がなかった)のだもの。

当時約4歳児、ワイ。大激怒。

「有楽町線のプラレールが欲しい!!」

そんな我が儘を言う息子に父親が取った行動は…

営団6000系(千代田線)のプラレールに黄色のラインテープを貼った。

息子、狂喜乱舞。

乗ったこともなければ見たこともない、何なら特に使う理由もない千代田線が我らがヒーロー有楽町線に。親父も一躍ヒーローに。

いやーこれが良くなかったんですわ。

無ければ作ればいい…オタクの精神を体現した父親の行為は息子の人生を歪めた。

この五年後、少年はHGUCザクⅡと旧キット高機動型ザクをミキシングする…のはまた別の話だが「【付けたい】と心の中で思ったのなら・・・その瞬間、既に! ポン付け(こうどう)は終わっているんだ!」を地で行くオタクになってしまった…

ディープなオタクという存在は往々にして錬金術師のように「等価交換」を経て己が理想を掴み取るが、親父はそれを未就学児である俺に教えてくれた。

子育てとしては-5000兆点の大チョンボである。

ちなみにこの営団7000系だが今だ現役である。実家から出勤する時に有楽町線を利用するのだが走っているコイツ見て

「生きとったんかワレェ!」

と思いつつ冷房の効いた車内へ、すると轟音が。少年時代お世話になった扇風機がお出迎え。

「(お前も)生きとったんかワレェ!!」

幼少の思い出を思い出すと共にそろそろ引退させてあげていいんじゃないかと思う令和4年。今夏もあの煩い扇風機は回るのだろう。

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