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平成の思い出、再開発後の秋葉原

おおよそ00年代中の話です。

私が高校に上がったのが2010年なので中学生までの話になります。この00年代の終わりは事実上インターネットアングラというか、割れの法規制や店のコンプラ(音源、映像の利用)意識の変化とイコールだった。

具体的には以下に上げるような変化が00年代終盤にあった。

・「にこさうんど」のサービス終了(mp3DLの終了)
・各種動画DLサイトの閉鎖(stage6等、youtubeまとめサイトは暫く続いた)
・上記に伴う地デジ録画チューナー(PT2)への移行
・マジコンの終焉(マジカル上海の閉店)
・秋葉原店頭での公式音源、映像の無断利用の終了

今では考えられないというか今ならサブスクだったり公式コラボなんかでやってたサービスが昔はなかったので、半ば公然に非合法ながら行われていた過去がある。

個人的に印象に残っているのが07年~09年の期間で、07年は「右向けばビリー隊長、左向けばもってけセーラー服」が冗談ではない有様で、アキバカルチャーズゾーンがLAOXでイオシスの向かいにあきばお~があった時分だ。

本当に軒先のモニタのデモはビリーズブートキャンプかもってけセーラー服で埋め尽くされていた。カオスだ。

それから間もなく悪名名高きマジコンが秋葉原に上陸し露天商に収まらず、屋号を構える店(マジカル上海→マジカル上海ターボ)が現れ始めたのが07年後半からだったろうか。

恐らくこのマジコン騒動が、秋葉原がアングラの町でいられた最期の時期だった。

任天堂を筆頭とする業界団体の訴訟でマジコン販売は許されなくなりマジカル上海と共に露天商も怪しめの店も姿を消し、後述のPT2販売を経て三月兎が事実上の閉店(10年代に本当に閉店)し、この町の「グレーな部分」は無くなった。

09年には本年中で動画の違法DLが禁止になることもあり地デジチューナーの特需が起こった。特にコピー防止を回避する所謂「TS抜き」ができるチューナーは人気を博した。その中でも研究用途向けの「PT2」は断トツの人気で入荷すれば即完売という状態だった。

今思えばアングラに繋がるハードの販売が無くなった秋葉原からディープな客が離れ、PC系のジャンク屋が急速に減った根源は00年代後半のこの時期にあったのだと思う。

極めつけは10年代初頭に「steins;gate」(アニメ)で描かれた秋葉原はその頃には過去の物になってしまっていたことだろうか。

ラジオ会館は建て替えとなり、ディープな店は減り、部品屋は更に減り…その反対に再開発は継続されベルサール秋葉原(住友不動産秋葉原ビル)が建築中だった。

私の主観では2010年の4月を境界にこの街の意味合いが大きく変わってしまった。

一応、次回で10年代の話をして終わりのつもりだ。

最早この時点で面白いものなどなにも無くなってしまったが思い出せる限りの記憶を書き綴ろうと思う。

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