退役提督が先生になる-BlueArchive最終編までの感想と少しばかりの考察-

8月のアタマにアカウント作成して約3か月で最終編「あまねく奇跡の始発点」を読了しました。
いやプレ先強いって…Lv57まで上げてバフ掛けた水着ヒヨリで殴りました。対物ライフル連射で勝つのは、ある意味キヴォトスらしい決着の着け方で悪くはなかったと思っています。

そんなわけで結構のめり込んでプレイできたので、一応のメインストーリを完走した感想でも書いてみます。

注1:ほとんど考察の類は読んでません。
注2:宗教ファンタジーのオタクではないので理解の及んでいない部分があります。
注3:百花繚乱とデカクラマトンは未読です。

経緯と感想

「提督」を辞めて「先生」になるまで

シナリオ付きのソシャゲはブルアカが初めてで、(そういうゲームは)ゲームシステムとメインシナリオが乖離しているように見えて今までやってきませんでした。そういう意味で艦これはシナリオが何も無いのでやってこれたのですが、あそこまで無味無臭だと飽きちゃうんですよね。

フレーバーとしても史実イベントの回数に限界があるので、ゲームシステムの成熟が始まって終わるまで(開設!基地航空隊捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇))をプレイして引退してしまいました。

そこから暫くはソシャゲはやってませんでした。(キャラゲーとしての)ソシャゲの始祖たる艦これだけやって、それ以外は前述の理由で何も触っていませんでした(それはそうと音ゲーやファンタジーに全く興味ないので某アイドルとかFGOは全く無関心)。

そんな中ぶっちぎりで透き通った世界観の絵がタイムラインに流れてくるようになり、アニメ化されなんとなく視聴を開始…そこからのクロコ実装で教職課程再履修を決意しました。

キャラがかわいい(多種多様)とか叡智に溢れてるのもそうなんですが、二次創作から伝わってくる「シナリオの面白さ」とクロコの「異質な雰囲気」理由が気になってこりゃもうシナリオ見るしかねぇな…と。

で、一気に3章まで行って「レベリング要るじゃん!」ってなって最終章でも「レベリング要るじゃん!」ってなってもうVol.4前半の話忘れちゃったよ…(カンナがマグカップ片手に素手でビル登頂したことしか覚えてない)。

そこからイベント二つ分くらい挟んでガツガツレベリングして、やっとこさ最終編読了に至ったところです。

ゲームシステム・UIについて

内容ないので先に触れておきます。後発の強みというか艦これよりあらゆる面で便利、楽。デイリーこなすのは作業としても作業するのが楽。
レベリングも先生のレベルを上げるだけで、同じキャラクターを複数育てる必要もないので凄く楽でした。

艦これはブルアカ風に言うと絆レベルと装備整えたヒナを複数揃えるのに等しい育成を強いられます。
そういう訳でイベントを普通に完走するだけでも結構キツいし、必要な装備すらイベント限定という有様なのでブルアカはゲームとして遊びやすいという感想です。

キャラの掘り下げの有無という問題を無視しても、ブルアカの方が触ってて楽しいし、毎日やりやすいと断言できます。

作品への考察

シナリオとゲームの仕組み

すっごいメタ視点を強要してくるというか、メタであることの必要性の証明が上手いなと。これは今までにないゲームだなと思いました。

一つ例を挙げるなら先生のセリフが選択肢になっていることでしょうか、最初は「何でどっち選んでも同じような選択肢なんだ?」と首をかしげていました。
それがある時に自分が選んで発した言葉であることを自覚させるギミックだと理解した時にたまげました「これは新しいギャルゲだわ」と、セリフを読むんじゃなくて表示された選択肢をタップすることで「自分で選んで発した言葉」になるなんて凄い仕組みだぞこれは…

これがシナリオパートだけでなく、メインシナリオに織り込まれている戦闘パート(ゲーム的にちゃんと戦闘の操作をさせる)でも生きてるのが凄くて、普通ならテキストでやる所を戦闘パートでやらせることで臨場感出した上でクライマックスの決定的な選択をプレーヤーに操作させることに成功していることは純粋なノベルゲームではデキないことでした。

一方、シナリオそのものは世界系というか00~10年代のギャルゲ(エロゲ)のド真ん中で窮地に陥った生徒を無理矢理助けて大団円ってヤツで今の20代後半から40代前半の大好物なんですが決定的に異なる点がありまして…

「先生」として「大人」という立場で彼女たちを救わなきゃいけない

これってメタ的にエロゲギャルゲやってたキッズが大人になって「今でも真摯に作品に、キャラクターに向き合えてますか?」って問われてる気がします。
子供の純粋さで押し切ってしまえる主人公に自己投影するのではなく、大人になって俯瞰して見れるようになった(なってしまった)あなたは「先生」として彼女たちを救えますか?世界と向き合えますか?そういうメッセージ性がある作品だと思いました。

もういい大人なんだからじゃなくて大人になった今でもちゃんと向き合えますか?

連邦生徒会長のプロローグでの問いはプレーヤーに斜に構えないでプレイしろよと、

そういう意味でプレナパテス先生は漢の中の漢でしたね…
ついでにカードを使い過ぎてはいけないことを身をもって教えてくれました。

それはそうと、プレイヤーネームがゲーム内に反映されるのも昔のゲームっぽいですね。

「大人」ってなんだろう

作中の「大人」って所謂「作中世界」であるキヴォトスの外から来た存在…つまりは現実世界の我々であることがメタ的に示唆されています。
プレーヤーである「先生」は自分自身であるとして他の大人はメタ的にどういう存在なのか?

例えばアニメで既に登場済みの「黒服」はゲームの世界をメタに見るブルアカにおいて、私は「(作品に対して)斜に構えるようになってしまった大人」がモチーフなんじゃないかと思います。
どうにも先生が好きでたまらないくせに、生徒を利用して…やってることが解釈違いに納得できなくて同人誌書いて原作に難癖付けてる厄介オタクみたいだなと…

ただ、本質的にオタク(≒先生)だから「先生」にオタク的な失敗はしてほしくないからカードの使い過ぎには厳しかったり。

逆にベアトリーチェは完全な悪意そのもので、生徒を食い物にする…現実世界に当てはめるならキャラクターやコンテンツを食い物にする存在でしょうか。同人ゴロでもいいし、作品に理解の無い実写化とか100ワニとか「資本主義を持ってくる大人」でもいいかもしれません。

地下生活者は、言い方色々ありますが端的にアダルトチルドレンでしたね…小生やだ!

ゲマトリアの大人たちに対峙する「先生」は至って純粋な善として生徒たちに干渉しています。

いずれにせよキヴォトスにおいて「大人」たちは「言葉」か超常的な力、あるいは舞台装置(カイザー等のNPC、色彩、神秘、恐怖)を介してしか生徒に干渉できない点からも、外界から来た存在…物語を外部から編集しうる(高次の)者と言えるでしょう。

それゆえに彼らが直接(暴力で)の干渉ができない(行わない)ことが下記のように説明できます。

・先生の身体がキヴォトス人より遥かに弱い(故に言葉でしか干渉できない)
・黒服らゲマトリアは実力行使をしない(生徒を利用する)
・ルール、プロセスが尊重される(E.T.Oでのベアトリーチェ、地下生活者)

それはそうと作品としてのバックボーンについて

ところで各所で「最終章、エヴァっぽくない?」という論が沸き上がっていますが、私はこれに反旗を翻します。

あえて言おう!最終編4章Vガンダム説!!
以下に共通点を挙げます。モチーフはVってはっきりわかんだね。

全てを滅ぼす超兵器が軌道上に出現する
それを破壊するため拾った戦艦で宇宙に出る
状況を打開するために戦艦で体当たりをする
艦のエネルギーを集中させる
ヒロイン(先生)が敵の手に落ち(てい)る
若者を脱出させる
大人が責任を負う
超兵器が破壊されヒロインが落下する
助けようとするがパワーがダウンする
奇跡が起きて無事、地上に戻る
全裸END

まぁ妄言は置いておいて、設定的なエッセンスにエヴァが(宗教的設定として)居るとしても話の流れとしてはV…というかガンダムに限らず90年代のアニメの色が強いのかなと。

90年代に思春期を過ごした少年少女が00年代にライターになって、10年代に責任ある大人になって作った作品じゃないですかね。

それも(日本から見て)海外のクリエイターが作った(見ていた)世界って捉えると腑に落ちるというか…
日本人がやると単なる焼き直しだけど、妙に俯瞰されててミーム的な活用がされてて生きてるみたいな。

世界観は00後半~10年代のノベルゲーだけど、DNAには90年代の世界観があって庵野のエヴァとか平成ガンダム…ちょっと後だと昔の新海誠みたいな大人びた世界系が同居してる感じがあって。

エヴァからシュタゲくらいまでのアニメを外から見てないと作れない、日本にルーツがあるけど日本人には作れないみたいな、そういう背景を感じました。

Vol.4(2章)以降の話について

終わりにこの先の話をしましょう。
(厳密には1章の時点で)テーマ性に「正義」と「信念」が追加されています。これは現状でFOX小隊やヴァルキューレのその後が描かれていないため推測の域を出ませんが、山海狭のイベントも同様で生徒たちの立場とそれに伴う正義や信念にシフトしているように思います。

最終編までは先生が生徒に対してどう向き合うかというのが主題でしたが、それ以降(Vol.4)では彼女たちが信じるもの、進む道は何か-先を征く人として示唆する流れになっています。

またそれに応じてシナリオ上で関わる生徒は責任ある立場にあったり、より大人に近い判断と責任を求められる生徒がメインとなっていきます。

というかカンナが17歳なわけないだろ
というかFOXとRABBITがやってるのメタルギアだろ

生徒は生徒だけど、もう卒業の先を考えるような子だよなと…
そういう意味で(先生も含めて)卒業に向けた話になっていくんじゃないかなと。

最終的にはすべての生徒が(キヴォトスから)卒業して誰も居なくなって終わるか、先生がプラナとクロコを連れてキヴォトスから離れるかのどちらかじゃないかなぁ…と考えてます(連邦生徒会長は多分帰ってくるでしょう)。

ひょっとしたら、こんな会話で終わるかもしれません。

「みなさん、卒業されましたね」
<うん>
<ちゃんと、大人になれるといいけど>
「ん。大丈夫、みんな先生の生徒だから」
「肯定、教え子を信じてください」
<そうだね>
<卒業しても先生は先生だもんね>
「先生、わたしたちも行こう」
「立ち止まっては、いられません」
<うん>
<一緒に探そうか、2人の青春の物語を…>
「ん。まずはお金」
「連邦生徒会の金庫を襲う」
「肯定、ルートを表示します先生」
-fin-


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