「生成AIはズルしている感じがある」は使い勝手のよいフレーズ
少し前の記事で、テクノミュージックやDJでおなじみのデリック・メイの日本語インタビューが目に留まった。世代なので...…というのか、私も30年前の9月、新宿リキッドルームでのハードフロア初来日を楽しみ、イラスト入りサインも書いてもらったくらい。そんなテクノ好き世代だ。
そう、「これはアートではなく完全にビジネス」なんだ。昔っから。特に音楽は売るものに形がないので、お金を得るにはかつての「楽譜にして売る」から、レコードやCDなどの媒体にして流通させること、大きな会場でコンサートを開催などなど、どれも大手資本が中心となった仕組みが必要となる。形のないアートにわずかでも付加価値をつけ、必然的に大量にさばくことから大きな投資が必要となり、でもってそれを計画的にきっちり回収して次の投資につなげるプロセスは、現代のビジネスの基本そのものだ。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの時代も、パトロンである大手資本(貴族)に雇用されて、彼らの要望に沿った音楽をつくり、彼らの前で演奏するのが音楽家という職業だった。モーツァルトはそれがイヤでフリーランスに転向する。「よい作品はわかってもらえる」「オリジナルには価値がある」はクリエイターの希望であるが、すでに名声を得ていたモーツァルトでさえ音楽のマネタイズはできなかった。そして、莫大な借金を抱えたまま35歳で病死する。葬儀への参列は親族を含めて数人だったという。
音楽教師や楽器演奏でお金を得る方法もあるが、スケールしないために大きくは稼げないし、それがアートな活動かというと違う...…と思ったが、坂本龍一がMP3が話題になり始めたころに「これで、音楽の価値は限りなくゼロになる。お金がかかる私の音楽などだれも求めなくなる。(楽器をもって酒場をまわるような)流しでピアノを弾いて、日銭を稼いで暮らすことになるかもしれない」といったインタビューを残している。
今では、音楽のストリーミングサービスと「LIVE配信中の投げ銭」なのだろうけど、30年近く前に、教授(坂本龍一)にはそんな時代が見えていたのかもしれない。「創作した作品を発表」して細く長く印税を得るのではなく「紳士が好きそうなきわどい衣装でピアノ弾いてフリートークして投げ銭300万円」といった時代が。
10年ほど前に出版されたジェレミー・リフキン『限界費用ゼロ社会』も、テクノロジーの進歩によってあらゆるモノやサービスの値段はタダに近づき、資本主義は衰退し、次の経済(共有型経済)が台頭するといった内容で話題になった。ここでは「資本主義の代表である」音楽などアートの価値は「すでに」ほぼタダになっていることから話が始まっていた。
とまあ、アートがアートとしてお金になったのは、大量生産と大量消費の時代をおう歌した20世紀特有の現象だったのかもしれない。ストリーミング配信などは、大手資本による従来の流通や出版といった仕組みのデジタル化がベースゆえに「過渡期のサービス」で終わり、残るのは、希少性から「投資対象」として取引されるアートだけかもしれない。ってことから思いついたのがNFTなのかな。知らんけど。
さて、デリック・メイのインタビューでもっとも強いフレーズは「生成AIはズルしている感じがある」だろうか。新しいテクノロジーの可能性を楽しみにできるだけならこういったフレーズにはならない。
欧米と日本とでは「ズルしている」の感覚は違う。日本人の「ズルい」は「妬み」に近くて、善良な集団のなかで「ルールのグレーゾーンをつっつく」ような行為でひとりだけ得をしようとするのを「ズルい」と、わりとカジュアルに表現する。けど、彼らにとってそれは当たり前のことで「ルールが悪い。とっととオレらに都合がいいルールに変えようぜ」になる。デリック・メイはそのあとで「どうしてもチートだと感じてしまう部分があるんだ」としているから、英語の原文がないうえ、似たようなインタビュー記事も見当たらないので推測も含むが、ここでの「ズルい」は「チート=明確なルール違反となるような不正行為」を表している(と思う)。グレーゾーンではないし、ルールが悪いのでもないのだ。
ともかく、欧米との違いがどうこうをおいとくと、「生成AIはズルしている感じがある」は使い勝手のよい日本語フレーズだ。「生成AIを否定」ロジックは組み立てにくく、実際専門家の書籍でも、著作権侵害の可能性についてだけでも何パターンにも分けて、ずいぶんと限定した上で、丁寧に各論併記するにとどまっている。つまり、立場表明として使うのは悪手なのだ。それを「ズルしている感じがある」とすると、どんな場面でも、だれが聞いても、受けとったひとそれぞれの解釈でなんとなく「そうだよねー、ズルだよねー」と腹落ちしてくれる。
とはいえ、著作権を焦点に何かが変わったとしても、アートの値段がゼロになるのが「あとは時間の問題」の流れは、どんな立場でも変えることはできなそうだ。生成AIの登場など、だれも想像していなかったころからの流れだ。そして、その流れが加速しているのだから。
「創作だけではのたれ死にする」は、昔っから業界にいるひとほど身に染みている。庵野秀明が率いるアニメ制作スタジオであるカラーは、千代田区一等地にもビルをもつ不動産投資からの収入が大きく、本人曰く「不動産ビジネスのおかげで自由な創作ができている」。朝日新聞も本業である新聞で赤字垂れ流しながら不動産ビジネスの利益で補填して食いつないでいるし、「クリエイティブ」代表を自認する放送局だってどこも似たような収益構造に「陥って」いる。
というわけで、本来のアートを続けるには、自ら不動産投資をするか、不動産投資で稼いでいるひとを見つけてパトロンにするかの二択になりそうだ。が、私がかつて営んでいた不動産屋では「不動産投資をしたいのなら収益物件を買わずに、収益物件を買うひとが収益源の会社の株を買うのが正解」とお客様にご案内していた。自己資金400万円の場合(ここでは複雑な計算を省いて)5年間の想定収支は前者のお花畑パターンで90万5000円、現実はマイナス15万7000円で赤字になる。一方で、後者で数社に分散投資していたら株価の上昇と配当金で「1300万円のプラス」になっていると。
同じように?アートにかかわるクリエイティブな方が身近な株を買って、その収入で「自由な創作」はできるだろうか。
たとえば、クリエイターが作品を生み出すために使うMacBookやiPadなどのアップル「製品」を買わず、アップル「株」を買っていたとしたら。「毎年50万円ずつアップル株を買う」を2013年から10年間続けていたら、きょう、その手元には3788万535円のアップル株がある(購入の計算はその年の市場最終日の株価と為替レートを用いる)。
んー、アップルの配当は1%を切っているから無視するとして、税金を引くとこれだけのプラスでもちょっとアレかもしれない。燃え上がるのを避けてなのか、画像生成AIについてはこれまで一切ノータッチなアップル、クリエイターの味方のアップルなのは魅力だけど。
で、「ズルい」生成AIの根っこは機械学習。というわけで、同じように「毎年50万円ずつNVIDIA株を買う」を2013年から10年間続けていたら、きょう、その手元には7億394万468円のNVIDIA株がある。7億円(!)。私が、機械学習向けにNVIDIAのGPUを4枚差したサーバーを用いたクラウドビジネスに携わっていたのが2013年ころだったから...…いや、買ってないんだからどうでもいいんだけど。
そう、「何かの値段をゼロに近づけるために必要な何か」の値段は上がる。アートの値段がゼロに近づくなら、そこで必要となる仕組みをつくる会社の株を買っておく。皮肉なようで、これが自由な創作を続けるための数少ない手段のひとつであり、現実だ。
「資本主義の代表」であるアートを、これまた「資本主義の代表」だった株式の仕組みで、資本主義の終焉まで支える。その先は「自らの作品やサービスや製品のネタをいかに広くタダで共有するか」が交換可能な価値を生む時代になるらしいが、これは生成AIどころじゃない、とても大変な時代になるように思う。そして、自らは希望していないのに「作品を広くタダで共有」され、学習ネタにされている「すでにある現実」は未来の先取りなのか、はるか昔、アートに価値のなかった18世紀に戻っただけなのか。