パフォーミングアーティストって、傷つきやすいんじゃなかろうか!?
~アイデンティティの視点から~
パフォーミングアーティストってなに?
私は大学院で、舞台俳優の勉強・研究をしたのですが、その経験を通して、舞台とは『パフォーミングアート』というカテゴリーに入る芸術なのだ、ということを知りました。
※(パフォーミングアーツ/パフォーマンスアートと同義で使っています)
じゃあ『パフォーミングアート』とは何なのかということですが、以下のような定義があるようです。
パフォーミング‐アーツ(performing arts)
演劇・舞踊など、肉体の行為によって表現する芸術。公演芸術。舞台芸術。引用元:小学館/デジタル大辞泉
パフォーマンスアート(英: performance art)
芸術家自身の身体が作品を構成し、作品のテーマになる芸術である。また、特定の場所や時間における、ある個人や集団の「動き」が作品を構成する芸術の一分野である。
引用元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
要は、自分の身体を使ってする“行為”が芸術作品である、ということらしいのです。
それにかかわるアーティストは、
俳優・歌舞伎役者・声優・ダンサー・パントマイマー・シンガー・オペラ歌手・各種楽器演奏者…
などである思います(ほかにもたくさんあると思います)。
“自分の行為が作品”であるということは、
「作品と自分自身を切り分けることができない芸術なんだ…!」
いうことに気づき、新しい見方が増えたような気がしました。
絵画や彫刻、陶芸など、作品と自分を切り離せる芸術と、パフォーミングアートとは、アーティストの作品の位置づけが大きく違うと思うのです。
物体を作るアーティストにとっては、作品は『自分の子』ですが、自分の行為が作品であるパフォーミングアーティストにとっては、作品は一体どんな位置づけになるんでしょう?
『自分の子』?
…うーん。やっぱり、しっくりこない。
やはり、
『自分自身』として感じられるんじゃないか
と考えるほうがしっくりします。
パフォーミングアーティストは、気持ちのジェットコースターに乗っている
アートは性質上、周りの人に見てもらう(評価される)ことで、作品が成り立ちます。
当たり前ですが、他者からの評価は自分で決めることはできません。
『自分の子』が評価されるのも非常にドキドキするでしょうが、『自分自身』が評価されるというのは、一体どんな気持ちなのでしょう。
プラスに評価されれば、
「自分って特別で凄い人間なのかも!!」
マイナスに評価されれば、
「自分ってダメな人間なのかも…。」
作品を発表し続けなければならないプロの人たちは、常にジェットコースターに乗っているような気持ちなんじゃないでしょうか。
ミュージシャンGACKTさんの例
ミュージシャンのGACKTさんは、作品作りに長い時間を費やし、ストイックなパフォーマンスをすることで有名ですが、先日TVで「大河ドラマに出た時の世間のバッシングが本当にきつかった。緒方拳さんに救われた。」と涙を流して語っていました。
またGACKTさんは「自分は緊張しない。緊張する人は“これ以上できない”という所まできちんと準備をしていない奴だ。」ということを語っていました。
これは、GACKTさんが“どんな評価でも甘んじて受ける心の準備”をしてからパフォーマンスしているのだと思いましたが、
そのGACKTさんでも、涙を流して「きつかった」と語る世間からのバッシングは、相当なものだったのだと思います。
『アイデンティティ』とは
心理学に『アイデンティティ(自己同一性)』という概念があります。
自我によって統合されたパーソナリティが,社会および文化とどのように相互に作用し合っているかを説明する概念。
引用元:株式会社平凡社/世界大百科事典第2版
平たく言えば、『自分とは何者か』ということです。
・自分は男だ
・自分は父だ
・自分は息子だ
・自分は日本人だ
・自分は明るい人間だ
という風に、『昨日も今日も変わらない、これが自分自身なんだと、自分で思える感覚』のことです。
また、『アイデンティティ』は、“他者や社会との関係の中で作られる”という大きな特徴があります(帰属意識といいます)。
他者や社会と触れ合わないと、「私ってまだまだなんだな…」とか、「私ってこういう良い所があったんだ…」と、自分を知ることができないのです。
アイデンティティが、“他者や社会との関係の中で作られる”のならば、
子供は、社会活動の中で大きく時間を取られる『学生生活』で自分のアイデンティティを培うだろうし、大人は、『仕事』を通してアイデンティティの大部分を培っていくのでしょう。
パフォーミングアーティストとアイデンティティ
パフォーミングアーティストは、表現を身体に落とし込まないといけないという性質上、トレーニングに長い時間をかけたり、活動に強いコミットをしていく事が必要になる場合があります。
例えばプロのバレエダンサーなどは、幼少期から長い間、厳しいトレーニングに時間を費やすと言います。
自分自身って本当は、
・自分は日本人だ
・自分は女だ
・自分は穏やかな人間だ
・自分は3人兄弟の末っ子だ
など多面的な存在であるはずなのに、真面目でストイックなタイプの人や、「成功しなきゃ」というプレッシャーが強い場合、
“自分のアイデンティティ”=“自分のパフォーマンス。それのみ。”
という感覚に陥りやすいのかもしれません。
もし自分のアイデンティティが、“アーティストとしての評価”のみに結びついているんだとしたら、“自分は何なのか”という感覚は、評価に合わせてジェットコースターのように、大きく浮き沈みしてしまうでしょう。
プラスに評価されている時は良いのですが、マイナスに評価されたときは、自分自身が脅かされるぐらい大きく傷つくでしょう。
また、アイデンティティがある程度固まるのは、25歳ぐらいであると言われています(所説あります)。
年齢がまだ若いアーティストは、自分のアイデンティティが不明確な分、パフォーマンスを通した自分への評価で、自分自身が脅かされるぐらいの傷つきを体験しやすいのではないでしょうか。
有名子役の人生が、その後複雑になりやすいのも、
アイデンティティがしっかり固まりきらないうちに、“周りの評価”に強くさらされ、波の激しいジェットコースターに乗りながらアイデンティティを確立しなければいけない、という大変さがあるからなのかもしれません。
またアイドルという仕事も、評価の浮き沈みが激しく、そして強烈。
若い彼ら・彼女らが、安定した心を保って活動し続けるのは本当に大変だろうなと思います。
パフォーミングアーティストは、どのように傷つきから身を守ればいいのか
『パフォーミングアーティストは、その活動の性質上傷つきやすい。』
とするなら、彼らはどうやって『必要以上の傷つき』から自分を守ればいいのでしょうか?
…なかなか答えが出ません。
でも少なくとも今の私が思うのは、
自分のパフォーマンス=自分自身ではない。あくまで自分の一部である。
ということを自覚することが大切なんじゃないのかな、と思います。
また、関わる作品が集団で行われるものであれば、
良い評価も悪い評価も、自分個人ではなく集団に与えられたものであるということを自覚することも大事だと思います。
個人に原因を帰属させ過ぎると、自分が尊大になりすぎたり、必要以上に劣等感を感じてしまうだけのような気がします。
そして時には、
・自分は父(母)なんだ。
・自分は、〇〇の彼(彼女)なんだ。
・自分の趣味は〇〇なんだ。
など、自分を作るほかのアイデンティティを思い出し、そこでの社会の関わりを大切にして、パフォーミングアーティスト以外の自分を再発見する必要があるかもしれません。
そのような工夫が、長く健やかにパフォーミングアーティストとして活動できる秘訣なんじゃないでしょうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?