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頭脳警察1971~幻野祭とジェーン・フォンダ


頭脳警察1971~幻野祭とジェーン・フォンダ 京成サブ

 頭脳警察のステージを生で初めて体験したのは1971年8月15日、三里塚幻野祭のときだ。当時は、9月に第2次強制代執行が迫るという緊迫した状況のなか、この祭りは青年行動隊の呼びかけで3日間行われた。ただ、反対同盟の幹部や現地常駐諸党派の活動家からは「祭りなんかやってる場合か」と批判もあり、実際に参加したのはノンセクトの活動家や、ロックコンサートに来るような若者や野次馬半分の連中だった(断片的だが当時の映像も残っている。前日に婦人行動隊の盆踊りもあった)。しかし、あの状況でこれだけのことがやれたのは当時の青年行動隊(ほぼ20代)というのは、カルチャーのセンスと奇抜な発想や行動力もあって、同盟や諸党派からも一目おかれていたのだ。

幻野 幻の野は現出したか '71日本幻野祭 三里塚で祭れ (1971.08.14-16)

 この年の三里塚闘争は大激戦の連続で、特に2月から3月にかけて2週間くらい続いた第1次強制第執行阻止闘争は、自分とこの高校からもノンセクトグループで10人くらい学校休んで行った。いくつも構築された砦の周りには野次馬も大勢来て、大スペクタクル絵巻の様相。「関東竜政会」なる房総のローカルヤクザの人たち(本物!)まで旗をもって参加していた。「あれ見ろ、東映のロケかよ!」なんて言ってね。7月の農民放送塔撤去阻止戦のときは、何人かで成田駅前からタクシーに乗って、「ここから先はいけないよ」と言われて降りて歩いてゆくと、工事用の飯場が全焼してたり、焼け焦げた警察車両が放置されていたりと、戦場のようであった。やがて支援部隊が竹竿と火炎瓶で機動隊と乱戦となり、こちらも投石で応戦していたが、機動隊のガス弾の粉が目に入り、全く見えなくなってまごまごしていると後ろから「全員検挙!」と迫ってくる。たまたま車のドアに触れると、野次馬で来たらしいドライバーのおっさんが乗せてくれて間一発で助かり、野戦病院に運んでもらって目を洗浄してもらうとか、まるで映画のような展開。そういえば第1次強制代執行のときも、機動隊に追われて砦の前に掘った「糞尿池」に落ちてしまい、野戦病院(巨大テントで医師や看護師も常駐)で、下着や服、靴までいただいたりしたことも。

 幻野祭の話に戻ると、ステージではゼロ次元というアングラ・パフォーマンス集団(69年に京大バリケードの建物の屋上で全裸整列したのが「アサヒグラフ」に載って反響を呼んだ)が、いきなり10数人が全裸に!「これが噂のゼロ次元かあ」とあっけにとられる。いくつかのバンドの演奏が始まり(前日には加藤登紀子も)、頭脳警察が始まるとノリも最高潮になった。他のバンドに比べて、歌詞の過激さがどうこう以前に感じたのはプロとしてのレベルの高さだ。後々知るのだが、メジャーなグループサウンズに楽曲を提供したり、バックバンドもこなしたり、現場で積んだキャリアや音楽的才能がハンパじゃなかったのだ。

戦闘モードのステージ(左)1stアルバム、1972年発禁(中央)1971年三田祭事件!チラシ(右)

 この三里塚原野(本当に原野だ)というギャラリーも最高で、日比谷野音などのロックコンサート(当時は99円コンサートなんてよくやっていた。「村八分」「裸のラリーズ」とかね)も良いけど、こちらは決戦前夜の三里塚でテンションも上がる。同じころ、日本版ウッドストックとか銘打って箱根で外来アーチスト呼んで野外フェス(箱根アフロディーテ)を(大手スポンサー付きで)やってはみたが、行った友達に聞くと「もう全然ノリが悪い」と失望してた。さらに後々話題になった中津川フォークジャンボリーもこの頃で、これも行った人に聞くと「フォークの観客は質が悪いわ」と酷評。まだ周辺では、拓郎はそれほど話題でもなかったのだ。そんななかで7月に後楽園球場でやったグランド・ファンク来日公演は例外で、これも行った友達に聞いたら、途中で雷と大雨でますますアップ、球場の外では興奮した観客でミニ暴動状態になって機動隊が出動とかで「最高だった」てな話も。
 さて一方、ステージの外では「岩見重太郎一座」なる路上芝居をやっていた。これが風刺とアドリブがきいて滅法面白く、拍手喝さいものだったが、そのときはその座長があの原田芳雄だとは誰も気がつかなかった(当時は日活ニューアクションで主役を張るスター級だ。一方で俳優座造反組の中心で、「新劇人反戦」の黒ヘル被って反安保デモにも参加していた)。夜は牛小屋のあとを会場にしたオールナイトの映画会で、『やさしいにっぽん人』(東陽一監督)とゴダールの『イタリアにおける闘争』を観て、わらの上で寝てしまった。そして束の間の夏祭りは終わり、激烈な第2次代執行阻止決戦になる。もっともこのときは学園祭の準備(前回触れた「入管体制とは何か」を展示したり)で行くことができず地団太。

 ちなみにこの年は、4~6月の沖縄返還協定調印阻止闘争、10~11月の批准阻止闘争と、激動の年で逮捕者も負傷者も数千人に上るなかで、自分ら高校生の群小ノンセクトグループがうろちょろしていたわけだけど、「入管闘争」のときにも触れたように、全国全共闘・全国反戦が分裂し、大弾圧もあり、12月頃には敗北感と消耗感に打ちのめされていた。そんなある日、舞い込んできた情報が「反戦女優ジェーン・フォンダ」の来日公演だった。ジェーン・フォンダといえばアメリカの人気女優(中3のときに『バーバレラ』を観に行ったっけ)だったが、70年頃からベトナム反戦運動の先頭に立ち、ハノイ訪問までしている。彼女は、俳優のドナルド・サザーランド(『MASH!』で有名になった)と一緒に反戦兵士のためのミュージカル集団「FTA」というのを立ち上げ、その来日公演をべ平連のコーディネイトでやるというのだから、消耗している場合じゃない!
 12月中旬くらいだったが、会場の千駄ヶ谷の東京体育館はすごい熱気で、公演の前座で登場したのが頭脳警察。幻野祭と違って屋内会場なので、曲が一段と身に染みてくるようで酔いしれてしまった。FTAのミュージカルは全部英語なので何を言っているのか分からなかったが、ジェーン・フォンダを間近(先頭のほうの席)で見るなんて夢のようであった。終わってからも楽屋裏で待って握手までした。まったくノーメイクで往年の女優のイメージはなく、まさに活動家だった。考えてみれば頭脳警察もジェーン・フォンダも、紆余曲折はありながら年寄りになってもメッセージを発信しているのは凄いことだ。

ジェーン・フォンダ。 1971年、FTA (Fuck the Army)のプラカードを掲げる(左)
2019年、環境保護・化石燃料の採掘や利用に反対する集会で違法な抗議活動を理由に逮捕(右)

 そして30年以上すっとばして2008年6月、日比谷小音楽堂でPANTAの生ライブを久々に観た。2006年に立ち上がった「9条改憲阻止の会」主催の6月集会・デモのなかでの特別ゲスト。この会も60~70年組の年寄り連中が、残り少ない余生で隠居している場合じゃないと一念発起して始めたもので、2011年以降は経産省テントの中心を担ったことでもおなじみだ(2009年の6月行動には、何と原田芳雄もお忍びでデモに参加したのを目の前で見た)まあPANTAもその世代と共有するもの多しというわけで呼ばれたのだが、このときはスローなバラード調の曲もありで、またまた聴き惚れてしまった。
 その後、数年前に『頭脳警察』のドキュメンタリー映画が完成し、自分も短時間であったが取材インタビューをさせてもらった。実はPANTAと直接話すのは初めてだったのだ。
第一印象はさすがに近寄りがたい感じだったが、最初に「実はあのとき幻野祭に」と切りだすと、「おおっ、あそこにいたのか!」とたちどころに打ち解けた雰囲気になり、それからマリファナ解放戦線がどうした。関東学院大の赤軍派というのは勝手に赤軍名乗ってた連中ばかりだったとか、そっち方面の話で盛り上がってしまった。
 そして最後にPANTAの姿を「映像」で観たのは、昨年公開された『ゴールドフィッシュ』という80年代に一世風靡したパンクバンド・アナーキーをモチーフにした映画で、チョイ役で出演していた。そのアナーキーも紆余曲折を経て頑張っている。

映画「GOLDFISH」、タヴィストックマスター役のPANTA (右)

 こうしてみるとPANTAの因子は、いろんなところを活性化させているような気がする。先日の偲ぶ会ライブは残念ながら行けなかったけど、映像で通しで観た。革命三部作以降だと、やっぱり『万物流転』や『絶景かな』が良い。メロディが心地よいのは、やっぱり1960年代ポップスを存分に浴びてきたからだと思う。というのは、書名は忘れてしまったが、何年も前に立ち読みしたPANTAが書き下ろしたムック本があって、それには自身が影響を受けた数々の60年代英米ポップスのヒット曲の数々を思い入れたっぷりに語っている。出てくる曲やシンガーの多くが、自分が小学生~中学生にかけて聴いていたラジオの洋楽ヒットパレードで馴染んだ曲ばかりだったのだ.PANTAといえば、何かと運動がらみで語られがちだけど、むしろ本質はここにあると思った。あの頃、闘争で走り回っていた連中の多くも、そんな洋楽ヒットパレードで育ったはずだ。

#PANT #頭脳警察 #ジェーン・フォンダ #三里塚闘争 #原田芳雄

☆参考図書・映画・DVD☆

幻野 幻の野は現出したか 〜’71日本幻野祭 三里塚で祭れ (CD+DVD)

ドキュメンタリー 頭脳警察 ↓

☆ジェーン・フォンダ☆

F.T.A (Free the Army . Fuck the Army)

A documentary about a political troupe headed by actors Jane Fonda and Donald Sutherland which traveled to towns near military bases in the US in the early 1970s. The group put on shows called "F.T.A.", which stood for "F**k the Army", and was aimed at convincing soldiers to voice their opposition to the Vietnam War, which was raging at the time. Various singers, actors and other entertainers performed antiwar songs and skits during the show.

FTA Trailer

F.T.A. – Jane Fonda and Donald Sutherland – Official Re-Release Trailer

Jane Fonda: anti-war speech & interview on Vietnam war

Play 'sets the record straight' about anti-war activist Jane Fonda - le mag

Jane Fonda arrested at DC climate change protest

☆頭脳警察 動画等リンク集☆

青地憲司監督『ドキュメント 日本幻野祭三里塚1971』

1971 幻野 幻の野は現出したか '71日本幻野祭 三里塚で祭れ
(レコード・Complete)

頭脳警察 - 世界革命戦争宣言('71日本幻野祭 )

頭脳警察 - 銃をとれ('71日本幻野祭)

頭脳警察 - セクト ブギウギ('71日本幻野祭 )

頭脳警察 - 銃をとれ('71日本幻野祭 - アンコール)

幻野 幻の野は現出したか 盆踊り「せっせっせ」「武田節」
('71日本幻野祭)

幻野 幻の野は現出したか - 論争6('71日本幻野祭)

頭脳警察 - 世界革命戦争宣言~赤軍兵士の詩

頭脳警察 - 銃をとれ~銃をとれ reprise

頭脳警察 - 彼女は革命家

頭脳警察 - 万物流転 (2019 Live)

「絶景かな」頭脳警察 新曲 2020/3/28 渋谷Lamama

頭脳警察 法政ALL NIGHT ROCK 1990/11/24-25

頭脳警察-世界革命戦争宣言~銃を取れ!

PANTA (パンタ) - さようなら世界婦人よ (2011)

追悼・内田裕也さん「コミック雑誌なんかいらない」
PANTA・澤竜次(頭脳警察)&5Xオールスターズ

ピーナッツバター「気取り屋マリア」MV

☆その他リンク☆

世界革命戦争宣言/The Geldum Shocker

ANARCHY ノット・サティスファイド
( 崔洋一監督作「旗をかかげろ」より 1985年)

"亜無亜危異" [Documentary film] Japanese Punks. TOKYO.

亜無亜危異「BACK TO MARQUEE」2019.6.4 江古田マーキー

原田芳雄with喧太&桑名/横浜ホンキートンクブルース

プカプカ 原田芳雄

映画『コミック雑誌なんかいらない!』1986年内田裕也監督 ( 全篇 )


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