
加島祥造「Light Verse」のこと
ぼくはみなさんの年の頃、ぼくに限らず誰でもそうなんだろうと思うのですが、四十歳ってすごく大人で、ましてや五十歳、六十歳なんて遠い未来の話という漠然とした印象しかもたらさない年齢でした。なんで、八十歳以上まで平均年齢があるような、そんなに長生きをするんだろうなんて考えたりもしたことがあります。
今日の話は、別にそういった年齢の話というわけではなくて、思い出せなかったある詩が、誰のどんな詩だったか思い出したという話です。
手掛かりは一言の詩句だけでした。そして、それすらもうろ覚えですが、「(言葉に詰まった)男は、愛は、と言おうとして「明日は」と言ってしまった。明日は戦争…」というものです。
十八歳の頃、友人から来た手紙の中に、この詩、けっこう良いよねと書かれていた詩です。その手紙をもらってから何年か経って、「これこれこういう詩を手紙に書いたことあったよね。忘れちゃったんだけど、あの詩って、誰の詩だっけ?」と、その友人に尋ねてみました。既にその手紙はなくなっていたし、その詩に話題が流れていった経緯なんか全然覚えていませんでした。友人もその点はすっかり忘れてしまっていて、二人して、「う~ん、思い出せないね」と言っていました。その場は別れて、それっきりその友人とも縁遠くなってしまいました。だから、更に手掛かりが増えるということもありませんでした。
それ以後、たまに図書館などに行くと、この人のかな?この人のだったかな?とパラパラとその詩句を探して、なんとなく、頁をめくることがありました。でも、どうしても見つけることができませんでした。
いつもいつもその詩のことを考えていたわけではありませんでしたが、かと言ってすっかり忘れてしまっているわけでもありません。それくらいの距離感で、その詩句とぼくは、ほぼ二十六年くらいつきあってきたわけです。
昨日のことですが、今日のこのnoteを書こうとしてパソコンに向かい、何を書こうかな…やっぱり自転車の話?とか考えながら、たまたま机の脇に置いてあった、先週、近くの図書館で借りた『昭和の詩』というアンソロジーを手にとって、この本を借りようと思った時も、ひょっとしたら、この中にあの詩が載っているかもしれないと思って借りたんだよなと思いながらパラパラめくっていました。百人以上の詩人の詩が収められているそんな本にも載っていないんだから、ひょっとしてその詩のことは、ぼくの勘違いなのかもしれないなんてふと思いもしました。
これまで、インターネットの海に向かって、欲しい自転車の画像をあちこち探して検索していたものですから、深く考えもせずに、「愛は 明日は戦争」と入力して検索したら、1件だけヒットしました。ある人が、自分のブログに引用していて、それがその詩でした。ずうっと長い間探していたわりに、実にあっさりと、クリックひとつで見つかりました。それは、その変化は、だとすると、多分良いことなのでしょう。
その詩は、加島祥造という人の「Light Verse」という詩で、1952年に書かれたものでした。こんなわけで、ぼくの長年の悩みは一瞬で解決したわけです。勿論、解決してしまったことに一抹の寂しさみたいなものは感じられたりもするのですが、それよりも、いつになるか分からないこの友人と再び会うときのことを想像して、「あのさ、あれさ~加島祥造だよ、荒地派の」って言うのがとても楽しみです。
そうなってみると、人生の八十年というのは、やはりそれなりの意味を持っているのかなと思います。
BGMはRCサクセションの『あの歌が思い出せない』で