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「ワン・オン・ワン」のこと

今はもう誰も話題になんてしないアメリカのB級映画で『ワン・オン・ワン』。

主人公は、スポーツ推薦で大学に入学したバスケットボール選手。鳴り物入りで入ったんだけど大学のレベルでは、なかなか通用しない。彼はとにかくバスケが好きで好きで、その気持ちだけでやってきたんだ。そんな純粋さが「単純さ」になって、空回りし始めてしまう。コーチにもいじめられる。そんな彼の、まあ葛藤、懊悩、意地なんかがドラマの展開と共に描かれるわけです。

さて、彼の大学では、スポーツ推薦で入ってきた学生のために、それぞれにチューター、つまり家庭教師のようにして面倒を見てくれる人を紹介してくれます。同じ大学の学生の中から勉強が得意な人を紹介してくれる。その彼女との関係が主調低音…というよりぼくは彼女の魅力に惹かれたわけです。

彼のチューターは、貧乏女子学生、バイトだから仕方なく引き受けたのだけれど、運動部の学生を担当するのは本当に嫌なんだといいます。要領よく単位を取ることだけを考えて、勉強するっていうことをバカにしてるからっだって言います。その場面で、彼女が言います。「アメリカ文学の最も意義ある作品であるはずの『モービィ・ディック』を読んだことのある運動部の選手は一人もいない。もしあなたが『モービィ・ディック』を読んだら、大学生として認めてあげる」

部でいじめにあっている主人公は、彼女だけが精神的な支えになり、彼女に内緒で『モービィ・ディック』を読み進めます。そして読み終え、奨学金を取り上げられないように取り組まなければならない試験勉強の手助けを彼女に依頼するのです。彼は初めて「勉強をする」のです。

村上春樹に登場するファムファタールたちと趣と違うのは、彼を徹底的に否定し、それが彼の自己改革の契機となるところかと。

『ワン・オン・ワン』っていうタイトルですが、ひょっとしたら『1対1』っていう意味ですか?だとしたら、この映画での1対1って誰対誰なんでしょう。主人公対コーチ?

人が自分の限界をどうやって決めるかと考えれば、ここでの「ワン・オン・ワン」は、自分対自分ということでしかないと思います。自分対自分の戦いに、自分で敗れて、自分で戦いを終える。自分がこうでいたいと思える自分になろうとすること、それをあきらめないこと。

実はぼくもまだ『モービィ・ディック』読んでいません。読もうと思います。


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