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パオロ・ベッティーニのこと

ロードバイク好きな友人たちが集まって、自転車レースのことをあれこれ話すのを聞いていたことがあるんだ。

落車事故で亡くなった仲間のために、誰もアタックをかけずに、集団でゴールした時の話とか、(今、調べたらファビオ・カサルテッリっていう人のことだった)夏のレースで、ジャージのフロントジッパーを下げて走っていたとしても、ゴールラインを越える瞬間には、ハンドルから片手を外し、ジッパーをピッて、上まで上げる、あれって身だしなみってことなのかなとか。そんな話を聞いていた。

ふーんと思って、家で、色々な選手のゴールの瞬間をYou Tubeで検索してみたんだ。確かに、みんなひょいとジッパーを上げる。みんながみんなってわけじゃないみたいだけど、ピッとジッパーを上げてからガッツポーズをする人たちがいっぱいいた。

レコメンドに従ってどんどん見ていたら、パオロ・ベッティーニっていうイタリアの選手が、あるレースで優勝した時の映像に辿り着いたんだ。その人のことなんか何にも知らなかった。最初にその映像だけを見て、後から色々検索して分かったんだけどね。

物凄いスピードでガードレールすれすれ、家の壁すれすれのラインを取って、坂道を降りていく姿が映るんだ。それで、その一直線に降りていく映像の後、彼はゴールラインを駆け抜ける。

やっぱり、その瞬間にね、体を起こして、ハンドルから手を離すと、ピッとジッパーを上げたんだ。でも、それまで見た他の人たちの映像と違っていたのは、そうやってゴールした後、彼は自分の胸を叩いて天を仰ぐと、両手を差し上げるの。それで、その直後、顔をクシャクシャにして涙をこらえる感じになるんだよね。最初は、これは随分と辛いレースだったのかなと思ったんだ。

でも、調べてみると、彼のお兄さんがそのレースの直前に交通事故で亡くなってしまったんだって。試合後のインタビューで「今日は一人でペダルを踏んでいたわけじゃなかった」って言っていたって。

当たり前だけど、自転車は、乗っている人が足を動かさなければ止まっちゃうんだよね。止まるどころか倒れちゃう。そういう何かギリギリのところを突きつけられているような競技かも知れない。

人は一人では生きられないという言葉は、普通、そういう意味では使われないのかも知れないけど、ひょっとしたら、こういうことなのかなって思った。つまり、人は、孤独になることが出来ない生き物なのかも知れないんだよね。

誰も誰かを一人にすることなんか出来ないのかも知れない。物理的に独りぼっちにしたとしても、独りにはならない。落車事故で亡くなった仲間のことを考えながらゴールした選手たちも、ベッティーニも、ずっと一人じゃなかった。

独りのようで決して独りではない。必ず誰かが共にある。そういうことなのかも知れない。


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