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香港之夜 #3
香港の魅力は何なのだろう。もちろん非日常空間に身を置いた高揚感が根底にはある。これまでにも海外にはちらほら赴いた。そのどれも仕事絡みのものだったので、だいたい2週間をひと括りにする感じのものだ。だからそこを離れ、こちらの国際空港に降り立つと、虚脱感があり、喪失感があった。
それぞれの土地の地図を買い求め、行ったことのある場所に蛍光ペンで印をつけトイレに貼った。Googleマップで歩いたところをトレースしてみた。
だから香港だって同じようなものだ。ひょっとして別の人生があり得たのかも知れないとないものねだりをしているのだ。俺の中のもうひとりの俺がそう囁く声も聞こえる。
あるいはこうも聞こえる。あの猥雑さや混沌感が、俺が生まれ育った下町の有り様を想起させるからだ。確かにそうかも知れない。竹で組まれた足場、路上で喫煙する上裸の男性、芋を食べていたバンケットの女性(その芋を「ひとくちくれ」とねだった俺の友人w)価値があるのか全くわからない屋台の商品…これらが全てなくなってもあの街が好きだと思えるのだろうか。
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友部正人の「公園のD51」はこんな歌詞だ。
どうしてこんなに綺麗にしてしまうんだ
塗り直された町の商店街
光る特急列車の窓の中
まばゆいイリュミネーションの真ん中で
いつも人間様だけがみじめな影を落とす
あちこちの市場が再開発され来年にはもうなくなってしまうと聞いた。すっかり綺麗にされてしまった後、俺はまだ香港に惹かれるのだろうか。そう独言して「それでもその隙間から執拗に這い出してくるものがある。それが香港なのだ」と(ただの3日しかいなかったのに)答えた。
おそらくは今も、その変化の過程なのだ。