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”あの宗教団体”について考えさせられた出来事
幸福の科学という宗教団体のことである。
私の家の近所にもちょっとした施設があったりするし、その家の子供とは小中と同級生だった。
幸福実現党のポスターは至る所で見かける。
大川隆法がどんな人だったかというのも少し知ってるし、長男のYouTubeもいくつか見たことがある。
私は、この宗教団体について世間一般ほど悪い印象を抱いていないのではないかなと思う。これは、友人との会話やネットを見たうえでの感覚だ。
これは、おそらく私が直接的に幸福の科学及び他の新興宗教と関わった経験がないことに起因する。
親は、公営団地の貧しい生活をしている人たちを対象にした○○○会の布教活動を幼少期に目撃してひどく憤ったり、知り合いに信者がいて選挙前に電話がかかってきたりしているので(他にもいろいろ)、宗教団体を目の当たりにしてきたと言えると思う。
一方私はメディアを通じてしか知らないと言って良い。あとは親から聞いた話。ただ、それは○○○会の話がほとんどで、幸福の科学については多分親も直接的に経験したことはない。
幸福の科学は、今でもときどき家にご婦人が勧誘に来たりするけど、まあ無視している。熱意は受け取るし、その労働に関してはリスペクトしている。
ネットで調べても、そこまで目立った問題も起こしていないかなという印象はある。ただ、それが実情かというと違うと思う。これは私の想像だが。
やっとだが、タイトルに書いたことについて触れようと思う。
”あの宗教団体”について考えさせられた出来事
昨日、この動画を観た。
この番組は、主にラッパーをその人の拠点(ほとんどは家)で取材するというものだ。
そしてItaqというラッパーに千眼美子が取材している。(以下敬称略)
Itaqは新進気鋭のラッパーで、幸福の科学の二世信者である。
この番組ではたいていリポーターもHIPHOP関係者なのだが、今回は違う。スペシャル回とも言える。
ぜひ、見てみて欲しい。というか、これからこの動画の内容について語ります。
この動画、実はダイジェスト版で、フルはスペースシャワーtvの方で観れる。
私はこのダイジェスト版しか観ていないが、二か所、考えさせられるというか心を動かされたポイントがあった。
1.千眼美子は私たちと何も違わないオタク
私は、昔からテレビに映る俳優たちの言動をまっすぐ信じたことがない。なぜなら彼らは縁起のプロだからである。本当に良い人だとしても俳優と友達になれそうにない。
この動画での彼女のリアクションもどこまで本心か分からない、というか仕事中だからリアクション凝るのは普通のことなのかもなんだけど。
ただ、ノンフィクション濃度の高いリアクションが見れたシーンがひとつあった。それが、4:15からのシーンである。
大川隆法の初期の頃の説法集?だと思われるが、これはItaqのおばあ様のものらしく、いまの時代手に入れようと思っても難しいとのことで、千眼美子は興味津々に見える。
このリアクションは嘘じゃないと思う。もしかしたら大袈裟にしてる部分もあるかもしれないけど、少なくともおおよそ本心だと見た。これも演技だったら私は何を信じればええねん。
数年前の自分だったら、このシーンを見て只々引いてしまうことしかできなかったような気がする。
しかし昨日この動画を観たときは、そんな感情は抱かなかった。なぜなら、私にはこのときの彼女がひとりの「オタク」にしか見えなかったからである。
このオタク in the hood という番組では、このように出演者がグッズに目を輝かせるシーンがたくさんあるから、自然にそう思えたというのもあると思う。
大川隆法のカセットテープだったらダメなのか。おかしいのか。
ビートルズのレコード、ナイキのスニーカー、ヴィンテージのTシャツ、バンクシーの絵画、古美術品、車、漫画、アイドルのサイン、ゲーム。
これらの間に本質的な違いは果たしてあるのだろうか。
あえて意地悪な言い方をするなら、みんな騙されているという点では共通していると思う。例えば、私からすればスニーカーなんて歩きやすければ良いだけだし、ヴィンテージTシャツにあんな値段がついているのは意味が分からない。
しかし、そのように思うのはお互い様であり、本人はそこに意味を見出しているに違いない。それは、もちろん自由だし、尊重すべきことだ。
「好きなものを探求する喜び」は、人間という生物の根幹に関わる心情だと思っている。
HIPHOPを聞き始めて、新たに知った表現がある。それは、
「○○に狂わされた」
という言い回しだ。
○○には、「自分が音楽を始めるきっかけとなったアーティスト」とか、「HIPHOP」とかが入ることが多い。
これは、まっとうな人生を送りたかったのに○○に出会ってしまったせいでその人生が滅茶苦茶にされたという意味で使われる。
この表現は、自虐的でもあり、最大の自己肯定でもある。非常に面白い言い回しだと思う。好きなものを見つけて、それを探求しているという何にも代えがたい幸福がそこにはあるから。
最後に補足しておきたいのは、じゃあ生まれたときから好きなものが限定されていたとしたらどうなのかという話だ。つまり、二世信者のことである。
Itaqも千眼美子も二世信者であるはずだ。
直感的には、自分で選んだ「好きなもの」は良いけど他者から与えられた「好きなもの」はどうなんだ、と考えてしまう。
ただ、正直これを考え始めてしまうと本当に自分の意志で選んだ「好きなもの」なんてあるんですか?という話になってくる。長くなるので辞める。
実際問題、例えば大川隆法の長男である大川宏洋も二世信者として生まれたが(しかもただの二世信者じゃなく)、現在はまったく違う場所にいる。
インターネットが発達した現代社会で、ひとつの価値観を他者に強制させるのは容易ではないはずだ。
2.2017年、Itaqが千眼美子を想って書いた楽曲
9:08~の話。
こんなエピソードは知らなかった。
これがその楽曲である。
感動した。この曲は誰が何と言おうと美しい。
ちなみに原曲はこちら。私がまだHIPHOPにハマる前、HIPHOPと知らずにSALUを聴いていて、この曲もよく聴いていたので懐かしさもあった。
私たちが感動し、涙を流すときはどんなときだろうか。
以前、気になって、考えたり、調べたりしたことがある。
他人の純粋な心に触れたとき、自分の荒んだ心や逃げてきたことを思い浮かべ、それを後悔する。そのとき人は涙を流すことがある、と思う。
メディアが、世間が、そして興味本位でテレビを見ていた私が、清水富美加やItaq達生徒を追っかけていたとき、この曲に込められた「どんなことがあろうと私はあなたの味方です」という純粋な気持ちに勝てるものなど何ひとつなかった。
この曲の価値は、「現代社会で幸福の科学がどんな団体かと思われているか」ということから一切の影響を受けることがあってはならないはずだ。
ラッパー「Itaq」について
たしか中学2年の頃にラップを始めたと語っていたはずで、現在の年齢を考えると彼はもう10年以上ラップしていることになる。
私はラップの専門家でも何でもないが、いちリスナーとしての感覚で言っても彼のラップスキルに口を出せるラッパーがHIPHOP界にどれほどいるだろうか、とは思う。
そして、技術だけではない。彼の曲からはメッセージを感じる。そしてそのメッセージを伝えたいという気迫も感じる。
ラップスタア誕生などはYouTubeに流れてくる動画を少しくらい見ただけだったので彼のことは今までほとんど知らなかったが、これからはチェックしていきたい。