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「漫才が綺麗すぎる」=台本があるように聞こえる?
漫才の賞レースの審査員が、「漫才が綺麗すぎる」という理由で減点することがありますよね。
これがなかなか厄介な言葉で、「綺麗に越したことないでしょ!」という意見を聞くことも多いです。
博多大吉さんのエムワン振り返りラジオでもこの言葉について少し言及していた気がするが、詳しい内容は忘れてしまいました。
確か、ダイタクに関する話題に関連して話していたと思うのですが、「セリフを少しでも噛んだらペースが崩れちゃいそうなほどタイトに組み立てられた漫才なので、その緊張感がお客さんにも伝わってしまっていたのではないか」と評していました。
そして私はダイタクの漫才を観ているとき、まったく同じことを感じていたので、やっぱり熟練漫才師はすごいなと感服したわけです。
基本は観客とのコミュニケーション
お客さんの前にいきなり二人で歩いてきて、5分ほど会話をして、お客さんの前から消える。そしたらまた新しい二人組が登場する。
普通に考えて”変”な芸ですよね、漫才って。シンプルっちゃシンプルですが。
目的は、お客さんを笑わせることです。
ですが、ネタを作品として作りこみ過ぎて、お客さんとのコミュニケーションができていないパターンって結構あると思うんですよ。お客さんが目の前にいても居なくても変わらないんだろうなって感じの漫才。
「この人たち、”漫才”をしているな」って思われちゃう漫才というか。そうなると観客としては、疎外感を覚えて、世界観に入り込めなくなってしまうと思います。
令和ロマンのくるまさんって過剰に思えるほどお客さんに語りかけますよね。このまえの一本目の苗字のネタでも、お客さんに共感を求めるような仕草を何回も行っていました。
ケムリさんの髭をいじるときなんかも、お客さんに向かって見せている。
お客さん在りきの漫才。だからこそ臨場感が出て、会場に一体感が生まれるのだと思います。
即興の笑いには絶対に勝てない
「即興」には、人間が出ます。
業界用語で言うと「仁」ってやつですか。
嘘偽りのない等身大の人間。
政治家の演説も、本来は即興でやるのが最も民衆の心を動かせるでしょう。そこからワンランク下がると「暗記」、さらに下がると台本の「音読」になります。
テレビに出ているお笑い芸人のネタなんかより全然笑えることって日常の中に溢れているじゃないですか。
エムワンなんか比にならないくらい、息ができなくなるほど笑えることってたくさんあります。
ちなみに私は同級生との飲み会で、
「あいつとあいつの顔って似てない?」
という話題になり、それを想像しただけで面白すぎて腹がちぎれました。
似たようなことは誰しもあるでしょう。こういうのが面白いのってすべてが即興だからだと思うんですよ。サッカーでボールが股間にあたるとか、雪道で友達がズッコケるとかって問答無用で笑っちゃうじゃないですか。
即興にはそういう無敵のエネルギーがあるのだと思います。これは自分も参加者だという意識になっているからなんですかねぇ。
例えばエムワンを「一切笑わないで観てください」って言われたらおそらく多くの人にとっては楽勝なんじゃないかと。
これは、エムワンという舞台が「即興の笑い」から遠いところにあるからだと思います。
エムワン決勝で、「骨組み以外はほとんど即興」みたいな漫才をしたらとてもウケると思いませんか?
言ったら普段芸人さんが劇場でやっているような漫才です。中川家とか千鳥を想像すると分かりやすいかもしれません。
でもそんなことはできない。
なぜなら、M-1グランプリという賞レースにはお笑い芸人たちの人生が懸かっているからです。
だからこその「即興感」
私は子供の頃、テレビに映る芸人はすべてその場の即興でトークをしたり、ネタをしたりしているのだと思っていました。特に、トークについてはそうです。
だから、芸人が鉄板トークとして同じ話を何度も繰り返し使っているということを初めて知ったときにかなりショックを受けたのを覚えています。
大人になって、プロとしてそういうことがどうしても求められるシーンがあるということを理解できるようになりましたが、やっぱり子供のときに持った直感は重要であるとも思っています。
漫才ってあくまで「二人組でお客さんの前に出てきて、なんでもいいから即興で何かトークをする」という体でやっているじゃないですか、根本は。漫才の元祖は知らんけど。
台本があるという体でお客さんも見ているのだとしたら、「いやぁ~最近気になっていることがありまして~」とかいうセリフが逆に不自然に聞こえませんか?
だからこそ「即興感」を作り出すことが、自然な漫才を作ることにおいてとても重要なのではないかと思います。
即興っぽく見せるためには○○が必要
では、即興感を出すにはどうすれば良いのでしょうか。
もちろん細かいところを上げ始めるとキリがないですが、最も基本的なポイントは明確だと思います。それは、「間」です。
漫才やスピーチでよく言われる、間をうまく使えって言うのはここまで私が書いてきた部分を全部ひっくるめての意味だと思うんですよ。
明らかに台本がなきゃそんなスピードで会話できないでしょ、って思われたら即興感は失われます。バラエティー番組とかで、このツッコミ用意してたやつだろって思うと冷めてしまうのと同じです。
人間が日常会話をするときって、「あの~」とか「え~」みたいな言葉も頻繁に使いますし、相槌もあります。そして何より、考える時間=間があるのです。
だから、漫才にリアリティーを出すには、やはり「間」が最重要だと思います。結論はとってもありきたりです。
「漫才が綺麗すぎる」=台本があるように見える=即興感がない=自然な間がない ということだと思います。