适可而止ーー特定の誰かと仲良くなるのが怖い
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【适可而止】
ピンイン:shì kě ér zhǐ
意味:丁度良いところで止めること。度合いを超えないこと。
『特定の誰かと仲良くなるのが怖い』
適度に切り離せる。
そんな関係が、私にとっての「丁度良い」だ。
これを聞いて、「竹子はなんて冷たい人だろう」と思う人もいるかもしれないが、別に私は人が嫌いというわけではない。
話しかけられたら喜んで返事するし、自分から誰かを食事とかに誘うことだってある。
自ら話題を作って場を盛り上げるのも得意だ。
だた、特定の誰かと距離が近くなってしまうと、途端に怖くなってしまう。
気軽に接することが出来る相手は、あくまでも「どうせこれ以上仲良くなることはないだろう」という人だけなのだ。
こうなってしまった理由は、成長過程にある。
私は、心の発達が遅かった。
年齢相応の成長が出来なかった。
同年代の子と比べ、心理状態は常に幼かった。
感情の起伏が激しかったり、話し方が幼稚だったり、思い通りにならないと癇癪を起したり……
そして、人との距離感が掴めなかった。
相手とは果たして親しいのか、そこそこの関係なのか、それともうわべだけの付き合いなのかーー
これらを適切に判断出来ず、何度もトラブルを起こしてきた。
更に、当時の私は人々が仲良くなるのには段階があることを知らず、誰かを好きになってしまうと、とにかく話しかけては付きまとった。
相手の都合を考えずに、一方的にどんどんどんどん距離を縮めようとしたのだ。
そんなわけだから、最初は遊んでくれた友達も徐々に離れていった。
特定の誰かと安定した関係を維持することなんて、ほとんどなかった。
その後、私はたくさん本を読んだり、信頼出来る人からアドバイスをいただいたりしてコミュニケーション力を上げていった。
ひと足遅かったが、ようやく苦なく正常に人と交流出来、人間関係も壊れずに長付き合い出来るようになったがーー
誰かと親しくなりそうになると、反射的に逃げたくなってしまった。
昔、「仲良くなれるだろう」と信じていたらただの思い込みで、結局相手から容赦なく突き飛ばされてしまったことがトラウマとなって心に残っているのだ。
仕方がなかったとはいえ、未だに寂しさと人間不信感が払拭しきれない。
それが、私のややドライな性格を作り上げた。
結果ーー
・相手に期待しない
・他人に余計な関心を持たない
・好かれても嫌われても気にしない
・裏切られても、世の中そんなもんだと割り切る
……等といった、自分なりの「适可而止」な人付き合いルールが出来上がったのだ。
もうあの頃に比べ自分も随分変わったし、そろそろ勇気を出しても良いのではと思うこの頃だが……
心が開くには、まだまだ時間がかかりそうだ。