頑張レドモ 頑張レドモ 頑張レズ?

「今までの人生で頑張ったことはありますか?」

そう聞かれると戸惑います。全く頑張ってなかったかと言われたら、そうとも言い切れないから余計に戸惑います。成功体験を上手く表現できない。

長年ネガティブ思考で生きているとすぐに達成感を忘れちゃって困ります。

先日、大学時代に書いた卒論を見つけたので目を通しました。9年前の私の文章です。所々稚拙な表現があるものの、これがよく書けている。

学生時代から、恥をかくこと角が立つこと悪目立ちすることは全力で避けてきた私。ましてやゼミの発表で論文のコピペを指摘されるなんてもってのほかでした。

私の通っていた学科では卒論の口頭発表があったので、先輩たちが目の肥えた百戦錬磨の教授たちに血祭りに上げられている姿を幾度と目の当たりにしてきました。

9年ぶりに再会した卒論には、確かにその時の私の「頑張り」が具体的に残っていました。WordかExcelでコツコツ描いた図、調査地域の市役所の職員にアポ取っての聞き取り調査、参考論文の見様見真似で何とか捻り出した問題提起、、、

努力した結果、お陰様で私は留年することもなくコピペを咎められたりすることもなく無事大学を卒業することができました。ああ、ここまで書くとめっちゃ美談っぽい。

この努力なんで忘れちゃってたんだろ。ふと、記憶がよぎります。

そういえば大学卒業した時、まだ就職先が決まってなかった。マルチタスクが苦手な私、卒論に全集中しすぎて就活はろくにやってませんでした。進路が決まらなくて当時結構焦ってた記憶があります。

卒論で得た達成感は就職活動という人生の大きなイベントに伴う不安の前に見事にかき消されたのでした。

、、、、。

「いやいやいや!卒論で頑張った時のこと、面接で話せば良かったじゃん!?」

こんなツッコミが入りそうです。そうなんです、就活生NGはこの卒論作成での経験を全くといっていいほど就活に生かせなかったのです。成功体験をアウトプットできなかったし、有効活用できなかった。

思い返すと、ポイントは「恥をかくこと角が立つこと悪目立ちすることを全力で避けた」ことだったのかなーって思います。それから、前の記事でも触れましたが大学に進学した理由が「指定校推薦で受かったから」というあまりにも受け身な動機だったことも影響してると思います。

大きな目標を掲げて頑張ったというよりは、大きな失敗をしない為に何とかその場を取り繕った、チャレンジしているという自覚が足りなかったのかな、と。失敗を恐れ、勉強に対する熱意が不足していたことが成功体験を表現できなかった大きな理由なのかもしれません。

とはいえ、9年経って卒論を見返した今の私にはあの頃の自分は確かに努力は重ねていたんだな、自覚がなかっただけで色々挑戦できてたんだなっていう感想を持てたのも事実です。落単しなかったということに関しては失敗してないし!

過去の自分の頑張りが見て取れる努力の結晶マイ卒業論文。今後も自己肯定感が下がった時に定期的に見返してニヤニヤしてやろうと思います。

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