石丸氏と斎藤氏に見る迷走する氷河期世代のリーダーシップ
東京都知事選に出た元安芸高田市長の石丸氏と兵庫県知事の斎藤氏のハラスメントが最近話題になっている。
奇しくも石丸氏は1982年生まれで斎藤氏は1977年生まれ。
どちらも氷河期世代ということになる。
かく言う私自身も氷河期世代の1人である。子どもの頃は部活の上下関係も厳しかった。先輩から水を飲むのことすら許されず、理不尽にしごかれ、バトミントン部なのにラケットを持つことすら許されずひたすら筋トレ。私たち新入生の新品のヨネックスのラケットは先輩が使うという暴挙が当たり前にまかり通っていたし、大学生では先輩をたてて飲めないのにコンパに行きお酌するのが当たり前だった。そして就職活動では新卒なのに即戦力を求められ、圧迫面接の末、就職したらサービス残業上等、そして上司や顧客からのハラスメントの毎日。もちろん不満だらけだったけど、みんな我慢しているから私も我慢しなくちゃ。自分が歳をとって偉くなればハラスメント地獄から抜け出せる、と信じていた。
そこにきて、突然のパラダイムシフト。ここ数年で働き方改革やハラスメントに対するガイドラインが作成されるなど、多くの企業(特に大企業)で一気に労働環境が改善された。
このことはとても喜ばしく思っている。でもその背景には私自身がそもそも文化系の人間で女性であることも関係しているのかもしれない。
私個人としては、体育会系の上下関係や男尊女卑なノリを苦手に感じてきたタイプだったこともあってか、ハラスメント対策導入にあたって言動の変化を求められることはほぼ無かった。
けれど、自分の周りにいた体育会系の人たちの戸惑う姿を見て、正直思うものが少なからずあった。
それは「ほらね、やっぱり」という溜飲が下がる思いと、少しの哀れみ。
パラダイムの変化により、役職者に求められる言動がガラッと変わった。これまでと同じ振る舞いでは「ハラスメント」の烙印が押されてしまう。まだモデリングするような見本もいない。そんな中で個人の内側にある昔ながらの男らしさや権威、リーダーシップ、プライドに対する認識と、リアルタイムで求められる現代的なふるまいとの間のギャップによって生じる小さな軋轢が少しずつ蓄積され、溢れ出したのが今回の炎上だったのだと思う。同世代として石丸氏と斎藤氏を見ていると、そういう昔の価値観が染み付いたリーダーの不器用さや極端な柔軟性の無さがハラスメントという形で表出したように見える。
最近、同世代と話しているとLINEのおばさん構文・おじさん構文のことや、文末の「。」に圧を感じるという話がよく話題にのぼる。そして「我々中年は若者に対して一体どの程度配慮するのが適当なのか?」という話にしばしばなる。
そして大抵「若者にそこまで気を使う必要があるのか」とぼやきだすメンバーが出てくる。
そこに込められる不満は、学生時代の部活で言うところの「下級生に対するしごきは当然。耐えれない者は根性なし」という価値観を押し付けられ、「学年が上がるまでの我慢」と耐えてきて、ようやく自分たちが上級生になった途端「しごき禁止」となったことで生じた、戸惑いのように見える。
今まで自分たちが耐えてきた「しごき」とは一体何だったのだろう?一体何のために耐えてきたんだろう?しごき抜きに下級生とどう関わればいい?というような。
これまで散々ハラスメントをしてきたバブル世代がまもなく定年を迎え続々と現場を去る。金銭的にもエネルギー的にもやりたい放題でひっかきまわしてきたバブル世代が去ったあと、その後のゆとり世代やさとり世代、Z世代と協働していくにあたり、古い価値観と新しい価値観との間の折り合いをつけていく最前線こそ、まさに今の40代の就職氷河期世代なのかもしれない。