机上と現場との間にあるもの
もう10年位前かな?研究職の弟が「同じ学部卒で勤め先が大学病院であっても、研究職と臨床とでは全然違う」と言っているのを何度か聞いた。その時私は「ふうん、そうなんだぁ」という感じで聞いていた。
*某旧帝国大学のアンケート*
それから月日が流れ、先日職場に某旧帝国大学の大学院より訪問があった。
要件は卒論の為のアンケート調査のため、調査票を精神疾患や発達障害を持つ本人と親御さんに記入して貰いたいという主旨だった。
質問用紙を見せてもらうと、英語をカタカナで表記した単語や難解な漢字が続出で各問いに対しての選択肢も多く、文字も小さくて、俗っぽく言えば「THE 意識高い系」の雰囲気が充満していた。
内心「こ、これは・・・・・(汗)」
✳︎現場にいる私の個人的な感覚は・・・✳︎
実際、普段発達障害の方や精神疾患をお持ちの方と接している私の立場でのあくまでも予想でしかないのだけど、そのアンケートへの協力を求められている方の中には、文章を読むことだけでも負担に思い、封筒の厚みだけでノックアウトされる人もいそうな感じもしたし、更にそれを読んで理解するというハードルもある。
そしてそもそも疾患の状態によっては、ポストに投函することすら億劫な人もいる。実際、発達障害の場合、文字で読む方が入りやすい人もいれば、耳で聞く方が入りやすい人もいて、耳派の人は、程度によっては書類をみただけで、仕事であっても速攻で放り出す人もザラにいる。
そして何より疾患によってはそもそもこういう調査に対して、「何のスパイ活動か?!」などと色々妄想して過剰反応する人も当然一定数いる。なのでそのあたりの説明や、あくまでもお願いベースで任意であるという事を相当丁寧に何度もやる必要があるかもしれない。
しかも親御さんが高齢な場合、この専門的なカタカナ英語続出の質問用紙をどこまで理解できるかはかなり微妙だと思ったし、そもそも老眼が想定される年代に対する書類でこの小さ過ぎるフォントはちょっと厳しいな、とも思った。
また私の個人的な体感としては、発達障害を抱える親御さんはお子さんが兄弟で発達障害を抱えているケースも結構な割合で見受けられる。その上若くしてシングルマザーというケースもかなり多くて、時間的にも精神的にも金銭的にも綱渡りで日々をなんとか生活されている方はかなりの割合でいる。
だから「こういうことに協力しようという時間的にも気持ち的にも余裕がある人は、相当限定されるだろうな」「大学院まで行って学びの時間が沢山あっても、現場の感覚と机の上での知識とではこんなにもズレてしまうんやなー」というのが私の率直な感想だった。
もちろん、軽度の行きやすい所だけ狙っていけば調査自体はやり易くなる。でもそれだと統計上偏りが出てしまう。だから、それなりの精度を確保させてあげようと思えば、その辺りも念頭に置いてある程度満遍なく色んな方と会わせてあげるのが良いのだろうな、とも思う。
「実際、どこまで期待に応えられるか分からないですが、ご協力させていただきますね」と受け取ったものの、見送りながら、昔、織田裕二が某刑事ドラマで「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!!!」と言っていたのをふと思い出した。
でも実際、こういう人達の多くが卒業後は官僚など公務員になって国や自治体の様々な仕組みを作っていくんだよなぁ…。そう思うとちょっと複雑な気分になる。
*現場でしか味わえないもの*
別に大学をディスりたいわけではないし、理論を軽視するつもりもない。でも現場でないと味わえない体感覚というのは確実にある。
例えば、発達障害でADHD傾向の強めの方の飽きっぽさと、統合失調症の方の急性期とまではいかなくても「ん?もしやちょっと調子悪い?」という時期の行動の繋がりの無さ、興味が目まぐるしく移り変わる感じや行動と行動の脈絡の無さはかなり似ている。でも言語化するのがめちゃくちゃ難しいけど、実は微妙に違うのだ。
うまく言えないけど、ほんのちょっと発達障害の場合に比べて統合失調症の方が、より無自覚で無邪気な感じがする。でもこの差や違いの感覚は、言葉では情報量が少なすぎて両方の人と毎日会って毎日注視している人同士でないと分かり合う事は難しい気がする。
✳︎机上と現場との間にあるもの✳︎
座学の方が効率よく頭に入るものもあれば、例えば自転車の乗り方や水泳のコツなどのように言語化が難しすぎて体験を通して体感しないと伝えきれない物もある。教科書通りにいかない、人間の数だけある誤差の幅広さ、そしてそれに合わせて臨機応変にやらざるを得ない経験を通しての学びとかもそう。
昔、弟が言っていた「臨床は・・・」は、このあたりの情報量の違いについて言いたかったのかなぁ?なんて、最近ふと思ったりする。
分かったつもりになってるけど、実際は分かってない事、自分が知ってるからこそ言葉足らずだったり、相手への配慮を欠いて、結果的に伝わりきれてない事って沢山あるのかもしれない。
「相手の目線に立つ」と言っても、想像力には個人差があるし、想像はあくまでも想像でしかない。だからこそ、想像力の限界を認識した上で、それでも相手の目線を想像し続ける事や思い遣る事が大事なのかもしれない、なんて事を今回のやりとりを通して強く感じた。
アンケートに関しては、私に同行してもらう事になった。私も勉強中のヒヨッコだけど、やるからにはちゃんと協力するし、学生さんには卒論を通して、少しでも現場の温度感が机の上まで届くと良いなー、そして何か現場でないと体感出来ない学びを一緒に体感出来れば良いなー、なんて思う。