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未払い給与と引き換えに得たもの

1/15を機に、昨年9月で辞めた給料未払いの会社からの振込を確認するのを辞めた。

するとネットバンキングで残高を確認するたびにいろんな想いがこみあげてきていた事からも解放された。「悔しさ?」「やるせなさ?」うまく言えないけど自分の中にある重くて黒いものから解放され、やっと重い鎖が切れたかのような身軽さが戻った✨🎉

・・・ええやん、これ🥰
心の軽さ、プライスレス✨✨✨

人生は努力と運と人間関係の掛け算だなと思うし、人生には理不尽さも含んでいる。

給料未払いの会社も含め、これまで辞めた会社のおかげで、話し合いは万能ではないこと、いままで努力と話し合いで乗り越えられると信じていた「理不尽さ」の破壊力を改めて実感した。

悔しかったし腹も立ったし許せないという思いも湧いた。でもそういう価値観で生きるという選択を歴代の上司達はしたんだよなぁ。そしてそういう選択をする自由を誰もが持っているんだよなぁと思った。

そして私は、歴代の会社のことを思い出して傷を広げるより忘れることにした。もちろん、向き合いたくなった時には向き合えば良い。でも限られた脳の容量をこんな生産性のない嫌な記憶で占めるなら、消去してデフラグして最適化した方が、脳や人生を有効的に使えるな、と思った。

「ありのままを受け入れること。」頭でわかっているつもりだったけど、まだまだ全然腹落ちしてなかった自分に去年の年末初めて気づいた。

そして1月。私が勉強し続けるのは、過去の会社での体験からくる恐れによって、知識で武装したいのかもしれないとも思った。

怖かったよなぁ。辛かったよなぁ。酷いパワハラでズタズタになって、ようやくバイトを始め立ち直る兆しが見えたら利用者への暴言や暴力と給与未払い。そして「こんな思いはもう繰り返したくない」と思って新しい会社に行ったら極端な男尊女卑と名義貸しと無資格での仕事と利用者の引き抜き命令とネットストーカーばりの個人SNSへの介入と監視。

そりゃ人間不信にもなるし、知識武装したくなるわ、と我ながら思う。というか、気を抜いたりそのまま武装せずにいたり、自分の価値を上げなければ、今度は私が精神障害者として支援を受ける側に回りかねないという恐怖もあった。

支援困難の精神障害者支援の仕事をすると、これらは誰にでも起こりうることだと実感するし、運の悪さに不幸が重なること(たまたま運が悪くて陥った環境が更に次の不幸を呼ぶ)を目の当たりにする。

「だからこそ、これ以上、心が折れるのが怖かったんだよね」その事に気づけたら、やっと「ふうっ」と一息つけそうな気がした。そうしたら、いつまで経っても振り込まれない給与口座を確認する回数も自然と減っていった。

日本人の持つ「協調性」「細かさ」は良い方向に出れば「優しさ」や「厳密さ」として発揮されるし、悪く出れば、同調圧力という形で自他の壁を平気で乗り越えて他人を操作しようとしてきたりする。でもその「協調性や細かさ」自体は良いものでも悪いものでもない。

個人的にはもう少しおおらかな空気感の方が生きやすいけど、生きやすい環境もまた人によって違う。魚にも淡水魚もいれば、海水に住む魚もいるし、その中間で生きる魚も、深海でしか暮らせない魚、泳ぎ続けないと呼吸できない魚もいる。

人間だって似たようなものだと思う。

混沌とした社会の中で、ある程度の健全さを保ちながら、しなやかにユーモアを失わずに生きていくには、相手が「長いものに巻かれ個性を消すこと」を最高の処世術だと信じながら「良かれと思って」「万人にとって当たり前と思い込んで」こちらに強制しているのか、それとも単純にイライラを溜めて弱い人にぶつけることでどうにかやり過ごしているだけなのか、それら背景を見極め、場合によってはさりげなくスルーしたり相手によっては適切に距離をとりながら、波長が合う人とゲラゲラ笑いながら大らかに力を抜くことで自分の最大限のポテンシャルを発揮すべく前を向いてやっていくしかないと私は思っている。

そしてこれまでの2社ではつまづいてしまったけど、「個人の特性を見る」という「福祉」や「こころ」の仕事は、多分私の特性を活かせる分野だと思う。

今後私の人生がどういう形で展開するかは分からない。でもとりあえず惹かれるままに目の前のことを一つ一つやっていこうと思う。

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