【甲状腺がんの話 #12】がんと伝えられた時のこと
外来でがんの宣告
薬疹も落ち着かない日が続く中、いよいよ摘出した腫瘍の病理検査の結果が出る日になりました。
この日は、母親も同席してくれました。
あとから聞いた話ですが、母親の友人ががんで闘病しており、その友人から「がんと言われたときに頭が真っ白になってしまい、先生の話を覚えていなかった」と聞かされていたようです。
なので、同席しようと決めていたと教えてくれました。
正直、怖さはありませんでした。
初めて検査をした3か月前から、がんかもしれない、と考えて色々と調べたりしていましたし、それで言うと、初めての検査結果が出るときの方がよっぽど不安で怖くてたまらなかったです。
さて、当日、外来で名前を呼ばれ診察室へ入ります。
先生の表情からは何も読み取れず、どうなんだろうと緊張が募ります。
「検査結果ですが、とった腫瘍の中に、悪い細胞がありました」
「それはがんということですか?」
「甲状腺乳頭がんです。大きさはかなり初期なので、ステージでいえばステージⅠくらいだと思います」
こんな感じの会話だったと思います。うろ覚え。
あとは、
・甲状腺乳頭がんはリンパに転移しやすい(あとは肺とか脳とか上半身)
・でもがんがこの大きさならどこにも転移しないで終わるんじゃないかと思う
・耳鼻咽喉、頭頚部のがんは5年何もなければOKというのが目安だが、甲状腺がんは進行が遅いのでもっと長い期間見ていくことになる
・定期検査のスパンは、最初は数か月~半年に1回くらい、徐々に年1回くらいになる
あたりの説明をされました。
また、がんを前提にした検査を術前にしていないので、念のため転移の検査をするとのことでしたが、傷が落ち着いてからの方がよいとのことで、3か月後に検査予定を入れられました。
え、そんな先で大丈夫なの?と思いましたが、甲状腺乳頭がんは進行も遅いとのことで、そこまで急がなくても大丈夫とのことでした。
グレーな期間が続くことへの不安も大きかったですが、あとで他の方のブログでも最初の検査が数か月後だったという事例を見て、
そういうものなのかと納得することにしました。
しかし、今後も通院が必要になるので、近い病院にしておいて本当によかったです。
腫瘍自体は摘出してしまっているのと、検査までは転移の状態もわからないので、次の検査までは何の制限もなく。
おかげで、自分ががん患者だという実感も少なく。
不思議な感覚でした。
その後、鼻からカメラを入れて声帯付近の様子をチェックしてもらい、傷も特に問題なさそう、経過良好との言葉をもらいます。
ここまでの説明でも、正直「そうなんだ」としか思っていなかったです。
どちらかというと、きちんと病名がついたこと、今後の見通しが少し立ったことに安心した感覚かもしれません。
むしろ、じゃあ保険申請しなきゃなあとか、保険で〇円くらいもらえるなあとか、これって誰に伝えようかなあとか、そんなことで頭がいっぱいだったような気がします。
さて、皆さんは、あまりにショックなことがあったとき、最初は大丈夫だけど落ち着いたときに一気にショックが来る、というのを聞いたことがあるでしょうか。
例えば、大切な人が亡くなったときなどに、葬儀や手続きでバタバタしているときには喪失感があまりなく、すべてが落ち着いたときに一気にやってくる、というやつです。
実は私はこれと似たようなことが起こりました。
がんと伝えられた時は何も思わなかったですが、知人友人への連絡や保険手続きなどが終わった頃に、一気にネガティブになり、涙が止まらなくなりました。
一見「大丈夫そう」でも、実は大丈夫ではない方も多いのかもしれません。
がんとわかったあとにしたこと
<保険請求>
まずはもらえるお金の請求をしました。
私は、医療保険+がん特約付きに入っていたので、
・入院費(がん特約で上乗せあり)
・手術費(がん特約で上乗せあり)
・通院費(がん特約、遡っての請求可)
・診断一時金(がん特約)
このあたりが請求可能でした。
実は、手術が決まったあたりで、保険の担当者に事情を連絡して、
どのタイミングで請求するのが1番良いかを相談して、申請書類も一式送ってもらっていました。
金額が大きいので診断書が必要になったり、普通の申請より手間がかかったりもするので、診断書をお願いする手続きなども事前に確認しておくと良いです。
病院て電話で質問しても回答してもらえないことがほとんどなので、
通院のときに確認したいことをまとめておくととても役立ちます。
ちなみに私は診断書をお願いするためだけに病院に行く羽目になりました。面倒だった……笑
<周りに伝える>
良性か悪性かグレーなうちは最低限の人にしか伝えていませんでしたが、
悪性とわかり、仕事や生活の制限の有無などもわかってきたので、
がんとわかったタイミングで公表しました。
職業柄、治療しながら働きたい人のサポートもできたら、と思っていたのと、
同年代のがんサバイバーに出会ったことがなかったので、この経験が少しでも誰かの役に立つなら、と思ったからです。
最近、「AYA世代」というワードも耳にしますしね。
元々隠していた理由は、状況が不明瞭だったので、説明も質問対応もしにくい・困る、というものでした。
状況がハッキリしてしまえばオープンにするつもりだったので、予定通りと言えば予定通りでした。
伝えたときの周囲の反応は本当に様々でした。
手術も終わっているので私は比較的ポジティブに伝えたつもりでしたが、それでもショックを隠せないような反応をする人もいましたし、でも手術終わって良かったねというポジティブな反応の人も。
びっくりしすぎて泣いちゃった、と素直な気持ちを伝えてくれた友人もいました。
自分のことで泣いてくれる人がいるって心に響きますね。
ただ、ここでもやっぱり、転移の検査について聞いてくる人とか、治療方針?的なことを質問してくる人もいて、心配してくれてるのはわかるけど……となったりもしました。
とはいえ、退院祝いをしてくれたり、一緒にのんびりランチに行ったりと、変わらない友人たちには救われました。
中でもその心遣いに号泣してしまったのは、何も聞かずに、サプライズで癌封じのお守りだけ(本当にお守りだけ。手紙も差出人もない。)を贈ってくれた友人。
とある歌詞の一節だけが書かれた付箋が同封されていて、
この歌詞をチョイスするのはこの人しかいないでしょとわかってから、ただただ嗚咽でした。本当に嬉しかった。
(きちんとあとで本人確認しました笑)
それから驚いたのは、公表すると、「実は私も同じ時期にがんの手術をした」とか、「息子が学生の時にがんだった」とか、「がんではないけど自分も今年大きな手術をした」とか、意外と同年代のサバイバーや、同年代の手術経験者や闘病中の方いるじゃん!となったことでした。
これからの治療や検査の内容とかの情報交換ができたり、不安やあるあるを共有できたりと、とても心強かったです。
最近も、同じ時期に外科手術をした友人と、傷の見せ合いをして「キレイにくっついてるじゃん」「私も同じくらいの治り方だよ」なんて会話をしました笑
このnoteもそんな役割を少しでも果たせていたら……!と思います。