同じ謀反なのに司馬懿と曹操の評判なぜ違う?
同じ謀反ですが、正直曹家あるいは曹操の天下が自分で戦って勝ち取ったもの、曹操本人ももし自分がなければ何人が王や帝を名乗ったかが数えきれないと自負していました。
確かに袁術、袁紹、呂布、劉表、馬超など全部曹操によって討伐されました、曹操が謀反というのは些か不適切です。
しかし司馬家の状況が違いました、魏国は既に天下の三分の二を掌握しており、最も国力の強い時に謀反をしました。
曹家の皇帝の寿命が短く、曹丕在位8年、曹丕の子曹叡13年、曹叡没前に曹爽と司馬懿を8歳の子供(曹芳)を補佐するように命じました。
初期二人の関係がよく、特に問題はなかったが、のちに曹爽が権力を独占するようになり、司馬懿を名誉職に追いやり、権力を奪いました。
司馬懿は忍耐強く、権力無くなった以上、仮病して引き篭もりを演じ切ったことにより、曹爽を油断させました。
曹爽と子供皇帝一緒に墓参りに行く際に司馬懿がクーデターを起こしました。皇帝と一緒にいた曹爽は元々司馬懿に対抗できるはずでしたが、臆病のため、戦意を失い降伏し、結局司馬懿に処刑されました。これ以降司馬懿一族が魏の支配権を握りました。
司馬家が作った晋王朝東と西に分け、合わせても150年ぐらいの歴史しかなく、かなり短い王朝でした。もしかしたら先祖の行えが子孫に反映されてしまったかもしれません。