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劉備実は「蜀国」を作っていない?

三国志って言えば魏、蜀、呉の物語です。しかし、正史上「蜀国」という存在がありません。

劉備が作ったのは「漢」であり、決して「蜀」ではありません。彼の諡号(しごう、帝王生前の評価に基づくおくり名)は漢昭烈帝であり、蜀昭烈帝ではありません。

考えてみれば、劉備は元々後漢の末裔、本当であろう、自称であろう、劉備の正統性が漢王朝そのものです、それをあえて捨てて蜀という地名で国の名前をするわけがありません。

ではなぜ蜀という名前が定着してしまったでしょうか?一つは魏からみれば劉備の漢を認めないので、地名である蜀を呼んでいました、もちろんこれは蔑視です。もう一つの理由は後世の人々が前漢後漢を区別するために、蜀漢と名付けたからです。

時を経ていつか蜀という名前が残り、正式名称となってしまいました。

さらに現代のドラマやゲームの影響でますますこの呼び名が広がり、もはや本物になりました。

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