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僕が基本的に好きで「小さく」遊びながら一人でずっとチャレンジしていること

まあ、物を知るのが基本的に好きな僕だが、チャレンジしてることはなにかというと、

①野球の動作が上手くなること。それに付随した運動神経を獲得すること。動作性IQを維持、向上すること。スポーツ選手の動きをスロー映像で流している動画を何度も見る。

②歌が上手くなること。それに付随した音域、リズム感(刻みかた)、滑舌の良さを獲得すること。月3(1レッスン30分)でヴォイストレーニングの教室に通っている。

③自分なりのスタミナ(精神的にも体力的にも)をコントロールしたり維持すること。

④読書というか、なにかしら文章を読むこと。できれば紙媒体で。読解力を落としたくないし、刺激にしたいから。好きな芸能人、作家、政治家のエッセイ、小説、ブログ、小話を読む。

⑤自分の思想を叩き込むために多種多様な映画を小刻みに見る。

⑥バラエティ番組やコントから笑いのツボや番組構成を観察する。コミュニケーションのツボを見ている。

⑦スタミナ付けでもあるが1時間くらいはウォークマンで歩いて自分の考えを整理しながら歩く。太らないためでもある。


をやっている。

本来、そんなことは右肩上がりの経済成長という神話があった時代には必要がなかったのだけれど、それはもう通用しない時代であることに不安を感じていたのは中学生の頃から感じていた。でもそれにつながる楽しさを見つけるのには四苦八苦していたし、両親が教員(母は小中の教員、父は高校の教員)で、家にいても学校にいてもスパルタ教育だった。


僕の生まれ育った愛知県の西三河は苛烈な管理教育で知られていて、高校〜大学2年生くらいまではその思想が自分の中にかなりこびり付いていた。おそらくアダルト・チルドレン とか、愛着障害に該当するものと思われる。(ADHD疑惑があったがASDではないのではないのかなという感じ)

だがそれを全否定も全肯定もしない。たまたま僕にはそれが合わなかっただけの話で、無理やり自分を洗脳していくことに限界を感じた故に思想が変わったのだ。

それから脱却するには政治的思想とか、そういうものだけではなく、「自分の好きなこと、好きなことで工夫したこと・努力したことから生まれた思想」を持ってないとダメだと思って上に挙げたことをやっている。

別に誰から言われたわけでもなく、好き勝手に、なるべく低コストで、他人を巻き込まずにやっていることである。それは「子供の頃を取り戻しながら大人にしていく作業」なので、人からガチャガチャ言われても変える気はなく、すべては、

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のためである。


落合博満は「人からガタガタ言われてもね、このタイミングでやりたいと思ったらそれでやらなきゃいけないの!」と言っていて(17〜19分ごろ)


それが基本的に信念となってやっている。気まぐれな努力だが、それを変える気はさらさらないが、まあぼちぼちやっていく。楽しいからやる。楽しくなければわざわざやらない。それだけのことだから。



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