今日の一問 2024/11/26
1935年11月26日は日本ペンクラブが創設されました。この団体は、文学を通して諸国民の相互理解を深め、表現の自由を擁護するための国際的な文学者の集まりです。では、その初代会長は誰でしょう?
島崎藤村
小林多喜二
ドストエフスキー
芥川龍之介
正解は……
1. 島崎藤村でした!
Instagramストーリーでの正答率はこの通りです。
島崎藤村 (18人) (41%)
小林多喜二 (7人) (16%)
ドストエフスキー (7人) (16%)
芥川龍之介 (12人) (27%)
解説
日本ペンクラブは国際P.E.N.の日本センターとして、「国際P.E.N.憲章」に基づき、「文学の普遍的価値の共有」「平和への希求と憎しみの除去」「思想・信条の自由、言論・表現の自由の擁護」を基本理念として活動してきました。
国際P.E.N.も日本ペンクラブも設立の背景には、戦争に対する危機感がありました。戦争に至る社会と世界は、いつ、どこにおいても味方と敵を作りだし、生命と人権を軽んじ、言論・表現の自由を抑圧する――そのことを身に沁みて知った文学者たちが、国境と言語、民族と宗教の壁を越えて集まったのが始まりです。
私たちは文学と文化的表現に立脚しながら、あらゆる戦争に反対します。いかなる国の核兵器と核実験も容認しません。そして、生命と人権、言論・表現の自由を守るための活動をつづけています。
1935年11月26日、国際ペンクラブの要請を受け、外務省文化事業部の課長・柳澤健(詩人でもあった)が文壇に呼びかけて国際ペンクラブの日本センターとして創立。初代会長は島崎藤村。他に正宗白鳥、徳田秋声などが参加。その後、第二次世界大戦中は活動休止の状態であったが、1947年2月12日に再建大会を開催。再建時の会長は志賀直哉であった。
島崎藤村は1872年、長野県に生まれた詩人、小説家であり、「若菜集」「破戒」といった有名な本を多数執筆した人物として知られる。
意外と正答率が高くて驚きました。実は、ドストエフスキーは1881年、芥川龍之介は1927年、小林多喜二は1933年に亡くなっているので、日本ペンクラブができた時に存命だった人物は島崎藤村だけになります。