今日の一問 2024/11/28

1520年に世界一周を目指すマゼランが南米を抜け、太平洋に出たこの日は「太平洋の日」に制定されています。しかし、その後、ある国で原住民との争いが発生してしまい、マゼランは志半ばで戦死してしまいます。その国とは、今でいうどこでしょう?

作問: 墾田永年私財法
  1. オーストラリア

  2. インドネシア

  3. フィリピン

  4. スリランカ









正解は……






3. フィリピンでした!
Instagramストーリーでの正答率はこの通りです。

  1.  オーストラリア (3人) (7%)

  2.  インドネシア (14人) (30%)

  3.  フィリピン (25人) (54%)

  4.  スリランカ (4人) (9%)


解説

世界一周を王から命じられたマゼラン一行は、1519年、スペインのセビリャという都市を出港した。そのまま大西洋を南下し、リオデジャネイロへの寄港を経て、1520年11月28日、ついに太平洋に出る。その日はよく晴れており、波も穏やかであったため、マゼランはこの海を「Pacific Ocean (太平洋)」と名付けた。

その後、太平洋を西に進んでいったマゼラン一行は、1521年3月16日、フィリピン諸島へと到達する。ここでマゼランは、島民達にキリスト教を布教し始める。最初のうちは布教もうまく行き、セブ島の王には何度も宴会に招かれるほど親しくなったが、それに気をよくしたマゼランは、他の島へ行き、武力を用いて島民に改宗を強要するようになった。そしてついに、マゼランがフィリピンに到達してから一か月後の4月27日、マクタン島の王ラプラプから攻撃を受ける。その時、マゼランの手勢は60人だったのに対し、ラプラプ王の軍勢は1500人だった。30倍近くの敵を前にしても、マゼランとその手勢は奮戦し、1時間近い戦闘の末、遂にマゼランは戦死した。なお、マゼランを撃退したラプラプ王は、侵略者を撃退した英雄となっている。

ラプラプ王の銅像 (マクタン島)

その後、生き残った船員達で航海を続け、一行がセビリャを出港してから三年後の1522年9月6日、ようやくスペインに帰国する。当初は270名いた船員のうち、世界一周を達成できたのはほんの18人であった。

マゼラン一行の航海によって、地球の概ねの大きさ、太平洋の存在、日付のずれなどの様々な事実が明らかになった。また、マゼランが太平洋に出た場所である「マゼラン海峡」のほか、「マゼラン星雲」「マゼランペンギン」「宇宙探査機マゼラン」など、多くのものが航海者マゼランの名にちなんで名付けられた。


【参考】

フェルディナンド・マゼラン - Wikipedia

太平洋記念日(11月28日 記念日) | 今日は何の日 | 雑学ネタ帳

ラプラプ像/Lapu-Lapu Monument – セブ情報


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