今日の一問 2024/11/24

1859年11月24日、イギリスの地質学者,生物学者チャールズ・ダーウィンにより『種の起源』が出版されましたが、当時、自然選択説の共同発見者として同時に論文を発表した、生物の分布境界線に名を残すイギリスの進化理論家は誰?

作問: MAKO.


  1. アルフレット・ラッセル・ウォレス

  2. グレゴール・ヨハン・メンデル

  3. ロバート・フック

  4. ロザリンド・フランクリン










正解は……






1.アルフレット・ラッセル・ウォレスでした!
Instagramストーリーでの正答率はこの通りです。

  1. アルフレット・ラッセル・ウォレス (9人) (24%)

  2. グレゴール・ヨハン・メンデル (14人) (37%)

  3. ロバート・フック (13人) (34%)

  4. ロザリンド・フランクリン (2人) (5%)

少し難易度を挙げてみたつもりでしたが、いかがだったでしょうか。

解説

注意: この文章はテスト期間中の高校生よって書かれているため、学術的な用語や謬節に関して、厳密な考証や検索が至っていない点がある可能性が大きいです。もちろんそのようなことはないように努めていますが、より正しい情報を求める場合には下部の参考リンクを参照してください。

1859年11月24日にチャールズ・ダーウィンによる『種の起源 ( On the Origin of Species ) 』が出版されたことから、毎年11月24日は進化の日といわれている。この本は、生き物は神によって個別に創造されたのではなく、「自然淘汰 (natural selection)」によって「進化」したものである、と主張する点において革新的であったが、当時キリスト教の教えに反するとして、宗教界からの反撃は非常に大きなものであった。また、庶民は人間の祖先はサルだとの考えに心理的な拒否反応を誘発したものの、現在では定説と広く認められ、進化生物学の根幹ともなっている。

アルフレッド・ラッセル・ウォレス ( 1823〜1913 ) の主な功績としては、アマゾン川とマレー諸島を広範囲に実地探査を行い、インドネシアの動物の分布を二つの異なった地域に分ける分布境界線、ウォレス線を特定した。チャールズ・ダーウィンとは別に自身の自然選択を発見し、ダーウィンの理論の公表を促した。その他にも、自然選択が種分化をどのように促すかというウォレス効果や、警告色の概念なども提唱した。これらの功績から、生物地理学の父と呼ばれることもある。

ウォレスが進化に関する論文(種が近縁種から生じるという論文。ボルネオのサラワクで書かれたのでサラワク論文と呼ばれる)を最初に発表したのは1855年、ダーウィンの進化論が初めて発表されたのは1858年7月のリンネ学会であり、このときはウォレスの別の論文(テルナテ島で書かれたのでテルナテ論文と呼ばれる)も一緒に発表されている。生物の進化に関する発表はウォレスの方が早かった。

しかし、現在では進化論といえばダーウィンであり、先のアンケート結果からもわかるようにウォレスの名はなかなか売れていない。その理由には、ダーウィンは自然選択の力を信じ、ヒトの高度な認知能力さえ生み出したと考えた一方、ウォレスは、自然選択がそこまで大きな力を持っているとは思うことができなかったためだろう。進化にはいくつか難しい段階、壁が存在するが、その場合には自然選択ではない別の力が働いた、とウォレスは考えていた。たとえば、ヒトの高度な認知能力は、自然選択によって進化させることは無理だというように。ウォレスはそれを、「まだ私たちが知らない宇宙の存在」あるいは「物質の世界より上位にある霊の世界」がもたらす力だと信じていた。

つまり、ウォレスは生物学者である一方、心霊主義者であったのだ。

(ちなみに、はじめはウォレスの名を明かし、警告色についてのクイズを出そうとしていたが、特に正確な情報を調べることができずこの案はボツになった。)







【参考】


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