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ぜんぜぜんの卒研のかたち作り

こんにちは、こんばんは、おはようございます。
ぜんぜぜんです。

卒研の熱源作りで定めた「模様表現」という方向性について具体的にどのように進めていくかを記していこうと思います。

まず初めに研究にあたって
・表現における最小単位の点や線や図形、イラストを単純化させたものを「図柄」
・複数の図柄が合わさった形状を「模様」
と定義する。

「自分の模様表現の省察」

「ぜんぜぜんの卒研の熱源作り」より、自身の過去の模様表現を振り返ったところ大きく2種類に分けることができた。

  1. その時、描きたいと思った「非存在」が展開された表現

  2. 人に伝えるための「存在」が埋め込まれた表現

1つ目の「その時、描きたいと思った「非存在」が展開された模様表現」は(図1)や(図3)などの作品が該当する。

これらの作品は、その瞬間に、描きたいと思った図柄や、この次にこんな感じに書き進めたらカッコ良さそう、面白そうと思った図柄を描き連ねたことで完成した。
そのため、見る人に何かを伝えるための意味合いは特になく、「非存在」の図柄を展開した作品になっている。
さらに、この2作品は「存在の中の非存在」と「無作為な集合体」に分類することができる。

図1:モノクロフェネック

図1はフェネックという「存在」の枠組みの中に「非存在」的な図柄が展開されている。内部の図柄には意味がなく、その瞬間に描こうと思ったものを、全体を見てバランスが良くなるよう考えながら描いている。
なので、この模様部分にはメッセージ性はなく、あくまでフェネックを表現する構成要素として使われている。
描いた模様を省みると伝統模様的なものや目のようなもの、植物の細胞のようなものなどが見られる。また、他の人によると地図のようにも見えるという。生物や地理が好きであるという自身の嗜好が模様にも現れていることがわかった。
これは表現技法はシュルレアリスムのオートマティスムに通じるところがあると思う。ジョアン・ミロの作品が一番近そうに思える(図2)

図2:ジョアン・ミロの抽象画

シュルレアリスムやオートマスティムについてはもっと深く調べて、自分の表現がどの時代に近いのかなどを調査する。

図3:歪

図3の作品は様々なモチーフを無作為に展開したことで出来た作品になている。具体的な目というモチーフもあるが、人に真意を伝えるための「存在」はない。個々のモチーフをオートメーションで繋げることで出来た作品である。

これらの作品に対する反応には、「自分にはできない、すごい」というものが多い。細かくて高度なことをやっているように見えるが、実際は点や図形の集合体である部分が多い。一つ一つの図柄を見てもらうと自分でもできそうと思ってもらおうことはできた。

二つ目の「人に伝えるための「存在」が埋め込まれた模様表現」は(図4)や(図5)などの作品が該当する。

図4:足助

「足助」は2年次のフィールドスタディの授業で愛知県足助町をランブリングし、その経験から作成した作品である。これは「足助」という文字の中に「存在」と「非存在」を混合させた模様表現になっている。足助町でみたモノコトを図柄として散りばめ、それらをオートマスティム的図柄で繋げている。図5では存在を赤、非存在を青としている。
イラストよりも単純化された表現であるから多数の「存在」を作品に落とし込むことができた。そして、この作品は足助町の住民の方や共に受講した仲間たちが見ると散りばめられている「存在」を見つけることができた。足助町の方にはとても高評価であった。この作品を介して語り合うと色々な情報が行き交いとても交流が深まったように感じた。その土地をギュッと詰め込んだような作品は土着度合いが高くなるのかもしれないと思った。

図5

このような表現では意識的な表現と無意識的な表現を同時に展開している。意識的な表現では活動を省察し、単純化させてアウトプットするという洞察力や情報処理能力が鍵となる。無意識的な表現では自分にルーツを持つ情報から生まれる直観が重要であると考える。

ここで使った「直観」は自身の知識や経験を必要とし、意識的な思考によって蓄積された多くの情報が無意識的思考で継続的に繰り返されることによって現れるもの。感覚的な「直感」と区別して用いる。(石田恭嗣(2005),『数学の隠された能力―デザインの数理学―』, 数研出版.)

「模様表現の可能性」

自分の模様表現に似たものとして前回も上がった「ゼンタングル」というものがある。その研究の一つにゼンタングルを用いた交流では互いをわかろうとする試みが促されるという効果があるというものがあった。(竹内花, 天野日和, 中茂裕貴, 本城甲斐, 福田大年(2021),「描いて、見せ合い、語り合うことで、互いをなんとなくわかろうとするプロセス-ゼンタングルとディスカッションを組み合わせた相互理解の試み-」,『第68回春季研究発表大会日本デザイン学会』, pp.414-415.)
ゼンタングルは誰もができる表現活動とも言われており、模様はどんな人でも表現できる可能性があると考えられる。
そして、「互いをわかろうとする試みが促されるという効果」があるということや、足助町の作品では人との交流が深まったという効果もあったので、模様表現に人との関わりを深める可能性があると思われる。

今後は上記の可能性について深めるために、他者における模様表現への認識や展開方法などを調査し、模様表現が持つ可能性を他者を交えて省察していこうと思う。

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