みじんぎりのスープ
みじん切りが好きだ
思い出すのは幼馴染たちと餃子を作ったこと。ニラを刻みすぎて、まな板の色が変わった。出来上がった餃子の味は覚えてないが、その刻むという動作が楽しくて、あのときのニラのグリーンが今でも鮮明だ。
いまはその動作の楽しさとは離れた場所で、この動作を好んでいる。機械的に刃を動かしていると、心がふわっとどこかに行く。思考があちこちに出かけるときもあれば、脳内でわたし同士がディスカッションしたりする。育児の最中、ほんの少し無になれる時。
みじん切りにしたものは大体スープになる。ごたごたに入れた野菜が汗をかいて、柔らかく美味しくなる。
世の中に時短料理があふれてる。わたしも好きだ。電子レンジにかけて混ぜるだけ。なんてステキな響きなんだろう。ホットクックなんて欲しくて仕方ない。台所に立つ時間を短縮できれば、空いた時間で何ができるかと考えてはわくわくする。
でも時短で時間を有効に使いたい気持ちを優先すると、きざむことで得られる「無」は自分の中にやってこなくなる。そうすると、おそらくわたしはしんどくなる。無になりたいのにそのきっかけを失い、フラストレーションがたまる。やがて、結局ホットクック使って空いた時間でみじん切りしてそうな予感さえする。
料理がやりがいとまではいかない。凝ったことはできないし盛り付けも適当だ。だけど確かにそこに、自分が大切にしている時間がある。その過程を繰り返し、わたしも汗をかく。小さな無を確認しながら生きている
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