仕事を変えよう、スキップで逃げて
夫は、職場先輩から言われた「たいした苦労もしてこなかったくせに」という叱責にダメージをうけて、今は転職を考えている。
妻である私自身は転職を3回している。1度目は辛い労働体系に耐え切れず新卒の会社を1年目で、2度目は非正規から正社員になりたくて転職した。そして3回目は娘ができて在宅ワークをする専業主婦というものに転職した。
思い返せば転職を考えた理由はどれも「しんどかったから」なのだ。残業時間が長いのが辛い、仕事量は同じなのにボーナスがないのが辛い、妊娠して立ち仕事なのが辛い、といった具合で、どれも人から言わせれば「最初からわかってたことでしょ」と言われてしまうようなものばかりかもしれない。
歯を食いしばれば、もっと先行きを見通せば、賢く考えれば、と思うが、私の場合は考えれば考えるほど足が止まってしまう。時間は有限だ。「とりあえず飛び込んでみよう、そうじゃないと進めない人間だった」と語る風に、自分で選んできたことに後悔もあるし、悔しさもあるから、時折思い出しては頭をかかえるけれど、結局は自分に都合のいいほうに考えられる人間なのだ。
仕事が終わって子供が寝た夜に、夫とふたりでつらつらと取り留めのないことを話す。その時間に、夫が自分なりに考え、苦しんでいることが聞ける。最近はもっぱら、冒頭の「転職を考えたきっかけ」についてだ。
夫は現在の職場に8年いる。出張も多く、専門職なので割とハードな部類に入ると思う。あちこち飛び回り、それなりに本人的にがんばってきた、と思っていた時に大きめの失敗をした。そして冒頭の叱責である。
夫は仕事に対して、育児に関われない、肉体的にハードになってきた、などいろいろあって揺らいでいたのだが、この一言がとどめで仕事を変えようと思った。今まで頑張ってきたことが、全て無になった気がしたと言った。そして同時に
「こんなことで辞めるのは、逃げだと思われることが怖い」と言った
それは私にも覚えのある感情で、私も転職のときの「しんどい」という理由は逃げじゃないか?といつも思っていた。そしてそれは、簡単に仕事をやめない理由になってしまう。「逃げ」ることは悪く、みっともなく、しんどいことを続ける以上にしんどい。そう感じる時があった。誰だって逃げない自分を好きでいたい。
確かに、踏ん張りどきというものはあるだろう。その仕事をする上で通らないといけない道があり、本人が頑張りたいと思えるならがんばる、それで良いと思う。でも無理なものは無理。そして逃げ道のない仕事は、つまり仕事を続けるか死ぬかで、そんなのってないよ、と私は思う。
でもこれは第三者から見た感想で、職を変わる本人にとっては、本当に「逃げ」というワードがすごく重い。いままで頑張ってきたという気持ちがあり、情熱を注ぎ切らずとも、仕事がそれなりに好きだったからなおさら。逃げたという気持ちで仕事を移ってしまうと、その先でも自信と誇りを失ってしまう。
視線を落とす夫を見て、言葉を探したけど、残念ながら上手い言葉は見つからなかった。ただ「逃げじゃないよ」と言った。その叱責の言葉への怒りはあって当然だ。誰かからこれまでの仕事を「たいした経験もない」と言われてしまうと辛い。それは当たり前の感情で、これからもそんな風に思われながら仕事を続けていくのは難しいだろう、というようなことを言った。もっと、もっと、寄り添って、癒せる言葉があれば良いのに。
そもそも「逃げ」じゃない転職って、どれくらいあるのでしょう。転職するとき、誰しも、退職理由を聞かれ、耳障りのいい言葉を選び、なんとかまぁまぁやりきり、誤魔化したような、そんな気持ちになってるんじゃないんだろうか。ステップアップのための転職だってもちろんあるだろうけれども、ものは言いようって、こういうときのためにある。そんなことすら思う。
それでいろいろ考えたのだけど、本人に「逃げ」というワードが根付いている限り、それからはどうせ逸脱できない。だから、せめて、スキップで逃げてというのはどうだろう。
スキップはリズミカルに、風を切り、ちょっと視線も上がるステップ。仕事を変わることへのメリットを改めて書き出して、ウキウキ気分で逃げて、仕事を変えようと明日言ってみよう。言葉のセンスはともかく、多分ちょっとくらい笑ってくれる。その顔をみて、どうか自信を失わないでと、私はそう願うばかり。
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