ニュー じもと パラダイス
めちゃくちゃ久しぶりにニューシネマパラダイスをみた。
イタリア映画の金字塔、言わずと知れた名作中の名作。見るたび泣き始めるタイミングが早くなっていくのですが、今回は火事のシーンのあとから泣きっぱなしだった。
初見の夫がドン引きしているのを知りつつイタリア映画の良さとか、ニューシネマパラダイスの画の素晴らしいところとか、とにかく唾飛ばして喋って、興奮冷めやらぬで今に至る。
ニューシネマパラダイスは、郷愁の抱える二面性についての話だ。
多くの人には故郷というものがある。生まれ育ち親しみを持っている。出ていけば時に帰りたくなり、帰ると苛立ち、またある時はそこから動けなくなる場合もある。
知ってる人たち、道、空気、それらは私を優しく受け止め、同時に落ち着かせなくする。アルフレートの言う「帰ってきてはいけない」「ここが世界の中心、自分の世界と錯覚してしまう」「でも短い期間で戻ってくると変化に気づいて戸惑ってしまう」ということは、こういうことだなと思う。
わたしの地元は、25年前、何もなかった。
駅前には田んぼが広がって、スーパーは阪急オアシスしかなかった。ただ空き地が広がっていて、でも街は大阪のベッドタウンとして綺麗に整えられていた。道にはいつも工事のフェンスが不似合いに並んでいて、その間を縫うように、姉と犬の散歩をした。
今は空き地が住宅地になり、商業施設がならび、駅前には今度スタバができる。すごい。
人は変わり、景色も変わり、塗り潰された虫食いの地図のように、知ると知らぬが入り乱れる場所。されど私はそこを故郷と呼ぶ。今は遠く離れた誰かと思い出を共有するためであり、ふと先が暗く見えるような日々の中でも、初めてニューシネマパラダイスを見たときのような切ない感動を、郷愁のなかに見いだすことができるから。
そして、その故郷の吸引力に惹かれながらも、故郷に囚われないように歩こうとする。前も後ろも、故郷への道につながっているが、それ以上でも以下でもない。
「自分を愛せ」アルフレートは言った。
この言葉が染み入って、広がって、やってくる。
わたしは、かつての空き地ではなく、今この場所を、好きだろうか。
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