zetumu流神社参り
私的神社参りのやり方を書きます。
神社とは書いているけど、浅草寺とかそういうのも含む。
但し一つ条件があって、おみくじが引ける所。
作法は普通で良い。
そこは特に言うことはない。
普通にネット検索でもしてオーソドックスに、普通の神社などなら二礼二拍手一礼とかで構わない。
普通に鳥居から入る前に挨拶して、御手水で手と口を清めてとか、まあ普通。
ここからが私的参り方。
前に立って向こうから自身に筋がスッと通るイメージ。
これだけではイメージし難ければ、真っ直ぐ自身に真っ直ぐな線が頭から足元の地面まで貫いて通るようなイメージ。
向こうのあり方が自らと自身に通る。
向こうのあり方を主にする感じで、自らはそれに沿わせるイメージ。
ここで注意なのは、自らと自分は違うということ。
自分はその場その場でのあり方。
昨日の自分と今日の自分は違う。
でも昨日の自分も今日の自分も両方己に於いてある。
コンパスで円を描く様に、自分は無限に描くことが出来る。
そのコンパスの中心軸が自らと通る所。
それにより無限の自分はキチンと整理される。
整理するのは自分ではない。
自らにより自ずから整理される。
キチンとそれが捉えられれば、様々な自分は自ずから浮かび上がってきて、自らを軸に整理されていく。
まあ今回はここがテーマではないので、詳しくは飛ばす。
自分ではなく、自らという軸が向こうの通す筋に沿うイメージ。
そのイメージが出来たら、心を向け体で受けるイメージ、向こうを。
その上で言いたい事を全部言う。
これで心・体・言葉の全てで向かうことになる。
それでとにかく言う、言うことなくなるまで言う。
1時間掛かろうが構わない。
感謝や望みだけではなく、文句も悪態も個人的欲望も悪意も疑念もなんでも。
兎に角洗いざらい言う。
小さく声に出しても良いし、内心で言っても良いし。
兎に角自らにあるものを全て言って出す。
ホンマに何も言えなくなるまでクタクタになって言うことなくなるまで言う、向こうに。
それは叶えてくれとかじゃなくてとにかく向こうに見せるため。
勿論正面でやってたら他の者の邪魔になる思うから、最初のイメージが出来たら脇に寄って邪魔にならない様に。
但し基本段は降りないこと。
慣れれば自らに於ける対話もできるが。
最初からそれが出来る者はあまりいないだろう。
できればかなり素質があるかも。
全部言って出しきったら、そこでそこから下がっておみくじを引く。
まずは何か願ってとかお祈りしてとかではなく、ありのままの自らと自身を見てもらうつもりで。
始めてそういう風に自らが参らせてもらったことそのものを聞く。
そうすればその神社に自らが参らせて頂いたことそのものが出る。
それについては素直に受け取り、そんなに聞き直すことはないと思うが。
次に自ら自身。
これは2回目以降はいつも最初に聞くこと。
それで自らについては成程と思える所まで対話して。
その上で個別に聞きたいことがあれば聞けば良い。
よむ中心は和歌とか漢詩。
吉凶や下の解説はそれに付随するもの。
本質と働きは歌に入っている。
単に言葉が書いているのではない。
向かった者にカスタマイズされた専用御札の様なもの。
これを繰り返し体に滲み込ます様によむ。
この滲み込ますのが大事。
本質と働きが滲み入る、体に。
最大のポイントは、自分でおみくじを選別しないこと。
ここは分かるから受け取ろう、ここは納得できないから受け取らないでおこうというのはダメ。
その時点で神よりも自分を上に置いていることになる。
その時点で神からのものを受け取ることは出来ません。
兎に角納得出来様が出来なかろうが全部一旦受け取る。
体に入れる。
その上で、納得できない事や理解らないことがあれば、なぜ?と問いかければ良い。
受け入れない者には問い掛ける資格が無い。
納得できたことのみ受け入れ、納得できないことはなぜと訊いて納得出来たら受け入れるというのは、判断基準が自分になっている。
その時点で自分という枠を超えることはできない。
自分という枠を超えてもっと大きな視点から、自分を捉え直すから本当の意味で成長出来る。
このポイントが判っていない者がほとんど。
現状の自分のままで、それはそのままで何かをプラスしてくれるというのは大間違い。
それでは神は絶対に機能しない。
現状の自分という枠自体を外して、神性そのものを軸に置いてこそ初めて本当の神性は機能する。
自分は神事に於いては基準に成り得ない。
神社の説明でよくここの御祭神は○○の命とあるが、あの本当の意味は、参った者が神のミコトを受けて命になるという意味。天皇の命令をミコトノリと言うが。
例えばスサノオノミコトというのであれば、スサノオという神のミコトをもちて参った者がスサノオノミコトとなる。
これをミコトモチという。
祝詞に「ミコトモチテ」とあるのはそういう意味。
これが神社システムの凄い所。
これを仏教システムに機能限定で取り入れたのが密教。
それが簡易なのにより深くある。
参る時単に参るよりも、この「ミコトモチ」てという意識で参ると格段に通る。
さておみくじに戻るが、一旦全部受け入れて滲み込ませた後、納得できない所や理解できない所があれば、それを投げ掛け、再度おみくじを引いて聞けば良い。
それを見て、また繰り返し。
それで納得出来るまで聞く。
但しこれは当てものではない。
見立てだ。
だからリアル結果を言い当てるものではない。
どう筋道が通ってあるのかが出るだけ。
それが見立て。
この筋道が通った捉え方が如何なる時にもあるのかが、本当に学ぶべきこと。
個々の出方に一喜一憂して云々ということではない。
如何なる自体に於いても揺るがないあり方。
それ故に柱足りえる。
神を「柱」と数えるのはそういうこと。
そこに隙間が一分でもあれば、それは柱足り得ない。
その筋道そのものを見立てる、自らに於いて。
筋が通るが故に物事もそうある。その結果として物事のあり様もある。
そういうこと。
まあ自らがまずそうあるのだが。
神と向かい合うとはそういう事。
で、そうしてやり取りして、全て落ちれば、引いた順に順番に重ね、そのおみくじを全て持ち帰る、凶も含めて。
そして、何度も何度もそこに書かれた詩を繰り返し繰り返し読んで、体に滲み込ませ切る。
それ自体が、個人にカスタマイズされた見立てそのものなので、神の。
滲み込みきったら、エネルギー切れを感じるので、ずっとやってたらそれが判る様になってくる。
切れたら、また神社に行けば良い。
最後に私的吉凶の見方を書いておこう。
「吉」 これが基本。方向として正しい。
「小吉」 きっかけ・チャンスが欲しい時に良い出方。
「中吉」 物事を進めて行く時に良い出方。
「大吉」 進めてきて、最後に成就する出方。
「末吉」 いずれ正しい方向が現れる。
「半吉」 これが一番むずかしいかも。方向が良いということと、まだ整っていないことが相半ばしている。どこが整いどこが整っていないかの見極めが必要。
「凶」 一旦状況が壊れた方が良い状態。
「大凶」 根本的に状況が引っ繰り返った方が良い状態。
*この記事に書いてあることはシンプルだけど。
でも密教でいう三密の奥義が書いています。
マジで。
仏教の密教はこれの仏道レベルバージョンです。
従来日本神道は私的には神霊道だけど。
更にその奥には本当の神道があり。
そして今はそれすらバージョンアップしている。
だから今は昔よりも遥かに神通し易いです。
神通と言うとこの時点で敬遠しがちかもしれませんが。
普通の言葉で言うと、普遍的な筋道が通り易くなっているということ。
だからそれと向き合って、自らのあり方を問う意味がある。
実際に神社に行って見ると。
勿論観光などに来られる方も多いですが。
でも結構真面目にお参りしている方も多い。
それを見るといつも声を掛けて、記事にある様な参り方を教えて上げたくなるのですが。
只の怪しい者になるので、自粛していますσ(^_^;)。
でも本気でマジメに神社などにお参りする方は、参考にして頂けると。
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