NISAでFIREするために、捨てた事。その9【背伸びしてでもやりたい事】- 人生の安心を求めるなら、捨てろ -
かつて記事にした「見栄」と重複しそうな内容だが、若干違う。
「見栄」は「身分不相応な背伸びした外観」とし、外見を取り繕うファッションなどの金の使い方の話だった。
「背伸びしてでもやりたい事」というのは、「現実を見ずに大幅な跳躍をしようとする、チャレンジという名の博打」と言い換えることが出来る。
まさに、人生の使い方の話である。
「やりたい事」と「できる事」のすみ分けはとても重要である。
「やりたい事」は「できない」のだ。
人は「できる事」で人生のフェーズが進む。
つまり「やりたい事」は時間の無駄、人生の無駄なのだ。
ONEPIECEのルフィのように「海賊王に、俺はなる!」を毎週叫ぶ美学もあるだろう。
しかしそれは20代までだ。
30歳をまたぐタイミングは、20代の頑張りやキャリア形成が実を結び、なんらかのスペシャリストになっている時期である。
その延長にある事業なら「できる事」なのだ。
突き進むことで、自分を、仲間を、家族を守ることが出来る。
今日から海賊王になりたいです!なんてやつは「やりたい事」を掲げるだけのアホなのである。
基本こういうヤツらは「やりたい事」を「やらない」。
自分もそういったアホな瞬間があったからこそ分かる。
それでも「やりたい事」に挑戦したいのであれば、それはそれは素晴らしい事である。
むしろそれは「やりたい事」ではなく、「あとちょっと頑張ればできる事」なのかもしれない。
私は挑戦を否定していない。
むしろ挑戦すべき。
「挑戦」は「あとちょっと頑張ればできる事」なのである。
周りからは脳内お花畑と言われるだろうが、しょうがない。
それを受け入れるなら、勝手に頑張れ。
自分の限られた人生の中で、悔いを残さず挑戦するか、もっと有意義に時間を使うのか、選べって話。