NISAでFIREするために、捨てた事。その4【衝動買い】- 人生の安心を求めるなら、捨てろ -
かつての私は、衝動買いはしょっちゅうだった。
必要のないものを手にして、その瞬間の所有欲を満たし、モノに囲まれることで安心を手にしていた。
情けない。
モノを所有すると言うことは、そのモノを保管するための家賃を払うと言うことだ。
モノに家賃を払うつもりは、毛頭無い。
家賃は人のためにある。モノのためではない。
衝動買いは、固定費の無駄な出費に繋がるのだ。
一つの事象として、トランクルームを使ってるやつは基本アホだと考えている。
それぞれの事情はあるだろうから、全てには該当しないだろうが。
にしても1年に数回しか使わないモノを、大切そうに保管して。
使わんだろどうせ。
ほんならサブスクなりレンタルなりでモノだけ借りりゃーええやん、と。
無駄な固定費だ。
さっさと売りさばけ。
そうだ、それと、モノを捨てる時にも金がかかる。
買う時にも金がかかり、捨てる時にも金がかかる。
馬鹿馬鹿しい世の中の仕組みだ。
だから、極力「収納」を増やしてはいけないのだ。
人は収納があると、埋めたくなる生き物なのだ。
更に、モノが多いと、探す手間が増える。
「どこにやったっけ?」から、自分の尊い時間が奪われるのだ。
衝動買いの反語は、断捨離である。
捨てることから始まるのだ。
モノも、思想も。
っていうか、そもそも買うな。