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その道は新聞が来た道 嗚呼そうだよぉ♪

「いやなら見るな」から「視聴者(※ただしお年寄り優遇)へ寄り添う」へ。
2ちゃんねるあたりで10年ほど前「いやなら見るな」とまだ鼻息荒かった頃の地上波テレビ放送。
制作費削られまくり若年層からそっぽをむかれ「偏向報道」「マスゴミ」と罵られ、見るも無残なその後の凋落ぶりをリアタイで眺め続けると、1980年代頃の新聞媒体の斜陽ぶりを思いだす。

かつてテレビ放映すればすぐさま売れっ子人気者となり、芸能事務所やイベンターなど興行師連中がウハウハ儲かった時代があった。もう40年ほども前の昔話だ。
明らかに水をあけられ始めた大手全国各紙は
「速報性よりも詳細な情報を」
「われわれは社会の木鐸であり続ける」
「ジャーナリズム魂は我にあり」
と強弁していた。
押し紙と呼ばれる販売ノルマと広告掲載費で稼ぐ実情の中、記事制作側にはまだ空威張りの余裕があった。

その後みる影もなく、夕刊は廃刊、スポーツ紙も休刊、羽振りのよい時分に払い下げて貰った一等地のテナント料収入で辛うじて看板だけは降ろさず、発表資料の要約記事が大半、広告主レベルはみるみる下がり続け、なんとか延命する体たらくは周知のとおり。
今や全国紙社説を読み、真に受ける人がどれほど居るだろう?

およそ20年後テレビ放送キー局がほぼ同じ轍を踏むことは、誰の目から見ても間違いない。

大衆娯楽メディア変遷史を面白がり、定性的に長きに渡り横目で流し見続けている。
ざっくりと荒っぽく日本でのメディア変遷をおさらいすると

1870年 日本初の日刊新聞を発行開始
1898年 日本初の劇場公開映画を開始
1910~1930年代 新聞の人気ピーク
1925年 日本初のラジオ放送開始
1920~1930年代 演劇・講談・寄席の興行ものピーク
1930年代 映画の人気ピーク
1940~50年代 ラジオの人気ピーク
1950~60年代 映画の人気再びピーク
1953年 日本初の地上波テレビ放送開始
1980~90年代 地上波テレビ放送のピーク
2000年代 日本でのインターネット普及開始

定期刊行冊子いわゆる雑誌は、大東亜戦争の前と後で何度か発行部数や冊子種が跳ね上がる時期があるが、これといってひと山だけのピークがないので割愛した。
次から次へと入れ替わった娯楽メディア史150年間経緯のお陰で、幾つか「ああこのパターンで受け入れられ、やがて乗り換えられるんだね、大衆ってぇのは移り気だねぇ」を理解できる。

  • 開始から普及のピークまでだいたい30~40年ほどかかる。つまりひと世代あとが主勢になると受け入れピークを迎える構図を、メディアは常にとる。

  • 戦前は西ヨーロッパで大流行したメディア、戦後はアメリカ合衆国で大流行したメディアをそのまま輸入。日本の技術的独創性はいつも殆ど見当たらない。

  • ピークを過ぎ、落ち目と言われてからもメディアは案外しぶとく残る。旧世代が支持し続けるから。ただし品質保証はその限りではない。

このペースでネットも進むと、ネットのピークは2020~2030年代頃、そのあとは現在の地上波テレビ放送同様、ズルズルと新しい情報娯楽メディアへ乗り換えられながら、割としぶとく生き永える。
今ゆとりだZだ言われる世代は2060年代に「未だにネットの垂れ流し無料情報を鵜呑みにし 半口開けてる耄碌くそジジババ」呼ばわりされる。

次の娯楽頒布メディアがどんなものかは想像がつかない。けど、こんな未来の絵ヅラのほうは割と想像つくんだよね、地上波テレビを四六時中視ては怒っている今のジジババから、予想できるから。



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ガシガシ興戸貝多郎
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