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『ザ・バットマン』もしもバットマンが〇〇だったら・・・

『ザ・バットマン』を観てきて、いくつか思ったことがあったので書きます。ふせったーでツイートしたものの加筆修正です。即座にネタバレします。

分かりやすーいコンセプト

もしもバットマンが○○だったら・・・

公開前から正式に「本作は多分に探偵映画の要素を含む」とアナウンスされていましたが、蓋を開けてみると多分に要素を含むどころか、普通にダークでノワールな探偵映画、っていうかモロに『セブン』でした。
この企画は映画会社のお偉いサンにプレゼンし易かったと思います。だって「ブラピの代わりにバットマンが出てくる『セブン』です。描写は全年齢対象に緩和します」と言えば、この映画のコンセプトは説明出来てしまうのですから。
志の高い企画とは言えないかもしれませんが、しかし私はこの映画を気に入っています。なぜなら「ブラピの代わりにバットマンが出てくる『セブン』」というアイデア自体がクールかつ、今までのバットマン映画で表現される機会の少なかったバットマンの魅力にアプローチするものだからです。

むちゃくちゃ『セブン』やん。

ベテラン黒人警官と白人ルーキーのコンビ、冒頭とラストの一週間というタイムスパン、狂人の思考がそのまま綴られた日記(リドラーとバットマンは日記というアイテムで相似が示唆されている)、ぎっちりと小物を並べておぞましく汚しまくった美術、延々と降り続ける雨、殴り書きの血文字、街の暗部としてのどんちゃか煩いクラブ、そして最後の計画を実現させる為にあえて自首するリドラー。大丈夫かよ??と思うくらい『セブン』の美味しいところをもらってきていて、大丈夫かよ??みたいな気持ちになったんですが、『セブン』大好きなんで楽しく観れました。ちょっとビックリするくらい貰ってきてた。撮り方なんかもところどころ貰ってきていて、孤児院の探索シーンなんかは『セブン』でジョン・ドゥーのアパートで鉢合わせるシーンを参考にしてると思います。

に、似てる〜〜〜!!

そこはかとないジェネリック感

はっきりと『セブン』をやってること自体は良いんですが、少し残念な点はあって、『セブン』やるんだったら、凄惨なガチご遺体とかガチ虫とかガチネズミとかガチ汚れとか、年齢制限を気にしない方針でやって欲しいかったなぁ、という。本作は全年齢対象作品のため、やってることはエグくてもうまーく見せないようになってます。絶対にピントの合わない切り取られた親指、凄惨な殺人現場の遺留品のみでの描写、爆炎に消えたまま映らない爆殺死体などなど、見せないことへの注力は凄い。そういうボカシ芸としての楽しみ方はできるかも。

ちょっと『タクシードライバー』もあります

始まって冒頭3分くらい、かなり『タクシードライバー』を地で行くんで、なんか「あらら?あららら?」みたいな変にフワッとした気持ちになりました。そこから先は『セブン』にシフトするんで、別に良いんですけど。とは言え、ブルース・ウェイン氏はタクドラのトラヴィスよろしく、最後まで持ってまわった独白入れてきます。

終盤のイヤーな計画の厭さ

リドラー最後の計画

リドラーは自首した後、予め仕込んでおいた最後の計画を実行します。防波堤を爆破し人為的に洪水を起こすことで、避難所である公園(市長選の決起会場)に市民を集め、その市民をSNSで募ったリドラー・フォロワーたちに襲わせる計画です。SNSでフォロワーを煽り、徒党を組ませ、丸腰の市民を銃撃させるそのやり口はは、非常に悪辣かつ、イヤーなリアリティを持っています。

予言になってね?

リドラーのSNSでの呼びかけに呼応して、社会から徹底的に冷遇された人達が集結し、選挙キャンペーンをライフルで襲撃する展開。観ながら驚いたんですけど、発生経緯や選挙という民主的なイベントを暴力で捻じ曲げようとする構図が、2021年にアメリカで発生した議事堂襲撃事件にかなりソックリだと思ったんです。時期的には2021年1月は映画は撮影後半の時期(もっと言えば、脚本は2019年末ごろのはず)なので、偶然に似てしまったということなんだと思います。なんかイヤーなところで予言的で厭ですね。

本作も根底には分断の問題が横たわっていたように思います。

現実の事件を複合した描写

終盤で登場するリドラー・フォロワーは、社会的なケアから爪弾きにされたと感じる南部白人層(共和党支持者というよりはトランプフォロワー)、昨今問題となっているオルタナ右翼層、インセル男性層など幾つかのモチーフの複合体と思われます。ちなみに、複合させることによって行動の表層だけを借りて、内実はそのいずれでもない、という腰の引けたスタンスは好きではありません。
なお、高台から一方的に無防備な市民をライフルで狙い撃ちにする、という構図は特に2017年にラスベガスで発生したカントリー・フェスでの銃乱射事件を思い起こさせます。(この事件の犯人の動機は未だ不明)
ヴィランの最後の一手が、壮大でも遠大でも無く、銃による一般市民の襲撃っていうのが、イヤーな現代的なリアリズムを持っていると感じたんですが、こういった幾つかの現実の事件を下敷きにして、発想した展開なのでしょう。

リドラーは何をもって敗北したのか?

攻撃から連帯へ

退廃極まった社会への怒りと憎しみが原動力となっている点で、リドラーとバットマンは鏡像関係になっています。またブルース・ウェインの設定に合わせるように、リドラーとセリーナも孤児と設定されることで、コスプレ三人組の鏡像関係が強化されています。そしてこの三人の自己表現は、他者への攻撃・危害という形で延々と繰り返されます。しかしラストでバットマンは、自ら人々のいる洪水の最中に高所から飛び込み、人命救助という連帯・協力の行動に転じ、そして発炎筒(光)でもって人々を先導する。つまり、孤高の部外者として社会を攻撃する存在だったバットマンが、社会の中に入り、市民に手を差し伸べることによって、社会を明るい方向へ導く存在に変わっていくことを意味します。バットマンが闇の自警団から社会の英雄へに変化する、長い道のりの一歩目を踏み出すわけです。

瓦礫に佇むバットマンは過去にもありますが、はっきり人命救助を行うバットマンは珍しいです。

リドラー氏ショック

バットマンに自分との相似を見ていたリドラーにとって、人名救助に勤しむバットマンのニュース中継は、正視に耐えない光景だったんだと思います。この直前まで、バットマンとリドラーは思想の上では相似していたのに、ここではっきりヒーローとヴィランという関係性になる。リドラーの見込み違いだったわけです。唯一友達になれそうだったバットマンに裏切られ、人生最大級のショックを受けてるリドラーさん。若干気の毒な気すらしますが、そんなそばから獄中で変な男(笑い方が特徴的な例の人)に懐柔され、次回作への布石を打ってるんだから、まぁ忙しい人です。

実はリミテッド・シリーズのドラマが良かったんじゃ・・・

色々書きましたが、基本的には好きなんです。好きなんですが、3時間はさすがに長い。上映時間が膨れ上がる理由は簡単で、おんなじところに何回も行ったり、おんなじメンツで何回も集合するからです。
バットマンとゴードン警部補は、お客さんへのサービスのつもりなのか知りませんが、30分に一回くらい工事中のビルで逢い引きして、今まであったことを報告します。でもその報告内容、映画観てたから知ってるし。
悪―い人が集うクラブにも通算5回くらい行きます。行くたびに目的は違うんですが、しかし何度もバウンサーとお決まりのやり取りがあり、音楽はズンドコ煩くてて、うーん30分前にも観たなぁ・・・みたいな。
映画は一直線で効率的に情報を伝えるのが常道です。2時間で語れる物語は意外とコンパクトで、よく短編小説が映画化に向いている、なんて言われています。そうでもしないと、2時間説明してるだけで終わっちゃいますから。しかしこの映画は、Aに行ってBをしてCという情報を得る、みたいなことを、1セクションで1つの情報を得てまた次のセクションへ、みたいな語り方をするんで、べらぼうに長くなる上に、30分おきに同じところ行ったり、同じメンツで集合してみたりすることになっちゃうんです。
この構成、非常に連続ドラマっぽいです。端折らず、順番通り、お決まりの場所、お決まりのメンツ、お決まりのやり取り、例えば60分4話くらいのリミテッド・シリーズであれば、楽しく観られるんでしょうけど、3時間の映画だとちょっと苦しい。

マット・リーヴスは偉い

本作の監督マット・リーヴスは、ちょっと可哀想なくらい大変そうな企画ばかりを任されています。J・J・エイブラムスが言い出しっぺとなり、ファウンド・フッテージ映画の先駆となった『クローバー・フィールド』、ツイストが効いたアイデアが肝だったオリジナルを無理にリメイクした『モールス』、短納期を理由に前任者が降りた『猿の惑星』リブートの2-3作目、ユニバース化に失敗した上にベン・アフレックが曖昧なまま投げちゃった『バットマン』単独映画。揃いも揃ってヤクネタ案件ばかり。しかしマット・リーヴスはいずれの映画も、粛々と一定の水準以上の映画に仕上げています。とゆーか、どれも面白いです。独創性に溢れる、とまでは言いませんが、娯楽大作として一級品を作り続けています。偉い。
きっとマット・リーヴスは自身の奇想を押し通す人ではないんだと思います。でも、ハイ・コンセプトな企画にのっとって、脚本家と共に脚本を練って、表層から+αを掘り下げ、手堅くも目を引く演出を入れつつ、スムーズに現場を回すことに非常に長けた人なんだと思います。っていうか、それって監督として申し分ないですね。映画作家ではないのかもしれませんが、映画監督としては間違いなく超一流です。
オリジナリティの強い作家的な監督は注目されがちですが、マット・リーヴスのような実力のある職人監督みたいな人こそ注目・評価されて欲しいですね。この世の映画の90%ぐらいはきっと雇われ監督の映画です。ほぼほぼその頂点に立つのがマット・リーヴスだと思われます。

映画むちゃウマおじさんことマット・リーヴス

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