「もう終わった」と思ったら、終わっていなかった
(沖名ギス)
「もう終わった」と思っていたら、終わっていなかった。
勝手に終わった気分になっていたのは自分の方で、
「あの時、続けようと動いていたら続いてたんだろう」ということが
思い返せばたくさんある。仕事も、人間関係も。
なんだって、飽きやすい。
少しでも退屈なことがあると、堪えるより先に
「ひと思いに辞めてしまえ。現状に固執する必要なんてどこにもない」
と考えて、気づいたら「えいや」とやってしまっている。
そんなことがこれまでに何度かあり、
「自分はある意味、病気なんじゃないか」と不安になる。
「飽きやすい 病気」で検索したら、
「人間関係リセット症候群」なる”病名”がヒットした。
前に、どこかで聞いたことがある気がする。
正直、すべてに心当たりがある。
何度も食事をして、付き合う一歩手前まで行った人に対して、突然レスポンスするのが億劫になり、それ以来、いっさい返事をしなかったことがある。
相手から「体調が悪いの?」「事故に遭ったりしてないよね?」と本気で心配するLINEの嵐を招いたにも関わらず、それすら放置。
そのまま1週間も返事をしないでいると、
「いまさらどのツラ下げて返事したらいいのだろう」とさらに面倒なことになり、「もういっそのこと全てを帳消しにしたい」という衝動に駆られ、
結局、連絡先ごと消した。
だが、それもアミューズメント施設に溢れる東京ならいざ知らず、片田舎での出来事で、週末は出かける場所といえば「イオンかラウワンか」みたいな状況だったので、その後、東京に出るまでは、どっちを選べば相手に偶然遭遇するアクシデントを防げるだろうかと、出かけるたびに「二択の賭け」にヒヤヒヤしていた記憶がある。
かように当時の自分は、相手の気持ちなんて全く考えず、あまりに身勝手な糞ワガママ野郎だった。自分って、本当にどうしようもない。落ち込む。
だが、「人間関係リセット症候群」という呼び名があるくらいである。そういう衝動に駆られるのは自分ひとりではなく、ある程度の規模の人が、同じように感じることがあるということだ。
記事によれば、病人には共通する「ある特徴」があるという。
曰く、「人の目が気になりすぎる完璧主義者」である。
記事をざっくりと要約すると、人の目が気になる人は、行動や発言の際に、自分の意思よりも人からどう見られるかを気にしてしまう。
それに加えて完璧主義なので、他人から見た自己像を、自分なりに完璧にしたいと願う。
ところが、人間関係は言うまでもなく自分のコントロールが効かない「他人」との関係を構築するものであり、どうしたって完璧にはならない。
そこで不本意ながら我慢し、ストレスを感じる場面が少なくなく、結果的に他人との関係そのものを煩わしく感じたり、イチからやり直した方が良いと考える傾向にある……。
読んで、「なるほど」と膝を打った。
要するに、自分に期待しすぎなのだ。
もっといえば、自意識過剰なのである。
大して器用でもないし、別に人からどう見られたって取り立てて失うものはない。
……はずなのに、「相手の不快を誘う言動をしない自分でありたい」とか、「相手が喜ぶようなことを言える人でありたい」とか、いつも頭の奥の方で余計なことを考えてしまう。
それは、「相手の目線」というフィルターで自己規定する癖みたいな、それもきっと幼い頃から、時間と実践を何度も重ねて、知らぬ間に構築された脳神経回路のせいなのだ。
負荷をかけすぎたパソコンが強制的にリセットするのと同じことが人間の頭で起きるのだとすれば、「面倒臭い」は、強制リセットのシグナルなのかもしれなかった。
だが、シグナルといえば聞こえはいいが、人間関係を築いてきた相手からすれば、たまったものではない。
今はさすがに少しは大人になり、関係を断ち切る時にも、
相手を思い遣って一言入れるくらいのことはする。
とはいえ、人はそんなに簡単には変わらない。
「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、今も普通に「リセットしたい」という衝動に駆られるし、「この人に返事するの、なんか面倒だな」と思って、3、4日くらい既読もつけずに放置することもある。
自分にどれだけ嘘ついても、結局、自分のベースはワガママなので、そのベース設定を、他人に対してというより、自分自身に対して、下手に隠したり取り繕ったりせずに向き合っていくことが、今後の課題というか、大人として、ますます必要なんだろうなと思っている。