ありがとうを君に【諸星ツキナ】
・書き留めたいこと
2か月前にTwitter(X)アカウントが消え、
Youtubeチャンネルに残る動画も数本となってしまいました。
彼女の痕跡は公の場所からアクセスできる場所にはほぼ残っていません。
だからせめて、ここにたどり着いた人には彼女の歌を聴いてほしいと思い、
限定公開のリンクをここに記します。(ここの動画もいつ消えるかわかりません。)
・【オリジナル曲】スローモーション・ジャーニー
・配信
・歌ってみた
・ツイキャス
・「PRISM」アレンジ
このカバーアレンジを聴くと、配信が始まる直前の気分に戻れて好きです。
・あとがき
以下、オタクの駄文になりますので、読まなくても大丈夫です。
「時間」というものの捉え方が変わったのは、
諸星ツキナさんが2022年4月30日に卒業した時でした。
いや、変わり始めたという表現の方が正しいかもしれません。
彼女の卒業をキッカケに、事あるごとにその事を思い出して、
「限りある時間」というものへの考え方を形成していった様に思います。
というか個人的に、
モノの捉え方というのは現在進行系で変わっていくものだと感じています。
「時間が区切られる事」は人に大きな影響を与えると感じます。
外的要因に絞ると
「学校の卒業」であったり「推しの卒業」であったり
「死(他人の)」であったりします。
「学校の卒業」は学校生活に区切りを
「推しの卒業」はその推しを推していた時間に区切りを
「死」はその人と同じ時代を生きた時間に区切りをつけます。
内的要因では自分自身が区切りをつけ、
その場を離れる(仲間内などではこのことを他界と言ったりする)こともありますが、その場合でも、区切りの前後で影響はあるでしょう。
その影響が自分を他界させたことになるので・・・。
今回書きたいのは外的要因についてなので取り上げると、
基本的に自分では避けられないものになります。
突然来る時もあるし、決められている時もある。
その前後で
「自分は、その時間を悔いなく過ごせただろうか?」
「自分は、その時間を有効に使えただろうか?」
「自分は、その時間で何が出来て、何が出来なっただろうか?」
という事を自分は考えていました。
2年前に諸星ツキナさんが卒業した時の色々な思い出を振り返って、
「わんおんわんで話した時緊張しまくってたなぁ」
「100曲耐久のセトリ全部メモってタイムスタンプ押したなぁ」
「僕が誕生日の時、おめでとうを言うためだけに枠取ってくれたのめちゃくちゃ嬉しかったなぁ(←自慢)」
「1周年の時インターネット寄せ書き送れてよかったなぁ」
「1万人を迎えた時嬉しかったなぁ」
「誕生日のときたくさんの人に祝ってもらえて嬉しそうだったなぁ」
「応援したけど、イベント出れなかったなぁ」
「喉を痛めてた時自分は何もできなかったなぁ」
2年経ってもこれぐらいはすぐ出てくるぐらい好きです。
今でもウェブポンで貰ったリクエスト形式のボイス収録で貰っためざましボイスをめざましに使っています。
辛い思い出も書きましたが、楽しい思い出も圧倒的にあります。
今でこそゆとりある働き方ができていますが、繁忙期の配信は唯一の心の拠り所でしたし、彼女のおかげで頑張れました。
諸星ツキナさんの歌を聴くために片耳イヤホンつけてオフィスで仕事したりしてましたし、間違えてめざましボイスを職場で鳴らした事もあります。
本当に焦りました。今でも思い出すとしんどい・・・。
諸星ツキナさんは社会にとって多くの人に知られたわけではありませんが
自分自身の考え方を変えるキッカケにはなり得ました。
そして、その影響をくれた諸星ツキナさんに伝えたいことはひっくるめると
「歌ってくれてありがとう」に尽きます。
あなたの歌を聴けてよかった。ただひたすらにそう思います。
自分の人生の中の区切りをつけるうちの1つが、あなたで良かった。
色々長く書いているとブレてしまうので最後に、
自分は常に変わり続けています。
様々な界隈に行ったり行かなくなったりしてると
こういうことはどう言っても言い訳がましく聞こえると思います。
でも自分のやりたいことをやるのが自分の人生という考えなので、
その時に近くにいたら声をかけてほしいし、声をかけますので、
一緒に同じ時代を生きてほしいと、切に思います。
身勝手な自分にお付き合いくださり、ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。