県民熱狂!信州ダービーが物語る信州戦争
ダービーってなんぞや
ダービー、と言われるとなんとなく競馬の日本ダービーを思い出す。有馬記念でのみお楽しみ程度に賭け、宝塚記念しか観に行ったことがないので、それ以外はよくわからないが。
そして、伝統の一戦、と言われると、関西人の僕としては、どうしてもプロ野球の阪神タイガースvs読売ジャイアンツを思い出してしまう。勝ってくれ阪神。頼むから。僕近鉄ファンだけど。今はオリックスか。日本一おめでとう!んほー!
そんな余談は置いておいて。僕がダービーと呼ばれる試合を初めて観戦したのは、2022年6月の松本山雅FCvsカターレ富山の雷鳥ダービーだった。これはおそらく、両チームのマスコットキャラクター、ガンズくんとライカくんが雷鳥をモチーフにしたキャラだから。北アルプスを挟んだ松本・富山両都市にちなんで、そう名付けられたのだろう。白熱した試合展開で、両チームのサポーターも興奮を隠せないといった様子だった。
その次月、ガンバ大阪vsセレッソ大阪を観た。天下のJ1、大阪ダービーだ。これこそ伝統の一戦そのものなのではないか。両チームともずっとJ1にいると思うので。1万人を超える観客の手拍子に、スタジアムが揺れた。
そして今回。待ちに待った信州ダービーがやってきた。前回は長野で、今回は松本で。松本山雅サポーターの彼女曰く、このダービーは両チームにとって絶対に負けられない戦いなのだそうだ。そこには、長野市と松本市の、アルプスの霊峰からマリアナ海溝くらいまでの深さほどの根深い歴史と因縁があった。
これはサッカーだけでなく、長野県、いや、信濃という国の歴史が物語る一つの戦争なのだ。本当にエル・クラシコだわこれ。
教科書の歴史ってこうだったよね
私事ではあるが、僕は来年結婚する。そして、正式に長野県民になる。そのため、ちょっとだけ長野県の歴史を勉強をしたので、少しだけ語らせてもらいたい。
7世紀後半、歴史書の中に「科野国」が登場した。読み方は「しなの」だが、現在とは違う綴だった。これは諸説あるが、おそらくシナノキが由来になっているのではないかとされている。その約50年後の704年、信濃国として字を改め、印が作られた。
そこから時代は一気に1000年進んで、戦国時代。信濃国は甲斐の虎、武田信玄の支配下にあった。その後、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉に支配者が代わり、江戸時代が終わるまで、中小の藩が分立していた。これが県歌「信濃の国」に歌われる十州だ。
1867年、江戸幕府15代将軍徳川慶喜は、徳川家が幕府として政権を維持していくことを不可能と判断し、朝廷に征夷大将軍の位を返上した。これが大政奉還だ。
しかし、形こそ徳川家が朝廷の下に降ったかのように見えたが、徳川慶喜は、明治天皇のもとで諸大名が集まる議会を作り、その中で最大の大名である徳川家の実質的な支配を続けることができると考えていた。
これを見抜いた薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通は、公家の岩倉具視や、長州藩の木戸孝允らと結んで、慶喜追放と領地没収を朝廷に働きかけた。その結果、1868年12月に勃発した王政復古の変により、中央政府は幕府から朝廷、そして明治新政府へと、完全に移行した。
さて、ここからは廃藩置県について。ここから現在の長野県を形作る話をしたい。
江戸時代の地方統治システム、「藩」制度は中央集権国家を目指す明治新政府により廃止された。元々藩制度自体崩壊しかかっている場所も多く、形式上なんとか成り立っていたこともある。それを新政府は立て直しを図った。
だが、旧制度から新制度へのスムーズな移行は難しく、旧江戸幕府直轄領である天領や、旗本の支配地は、中央政府から知事が派遣されていたが、各地の元大名たちが、知藩事として、引き続き統治を行っていた。これを府藩県三治制という。
しかし、この府藩県三治制は非効率的であった。3府302県に分かれているのだから、それぞれの税収はやはりまちまちとなり芳しくなく、戊辰戦争や一揆による債務は膨れ上がっていた。
そんな中、信州や大分県の豊後日田地方では反政府運動が活性化し、1871年正月に、参議の広沢真臣が暗殺されるという事件が発生した。この事件の前後でも政府高官が暗殺される事件が相次ぎ、それが廃藩置県を断行するきっかけにもなったのであろう。
そして、各地の協力や反発を受けながらも廃藩置県は断行された。
信州の歴史は複雑怪奇なり
現在の長野県は、最初の廃藩置県で岩村田県、小諸県、上田県、松代県、須坂県、飯山県、長野県、伊那県、高遠県、高島県、飯田県、松本県の12に分かれていた。信濃国は十州どころではなかった......?
1871年の第一次統合で岩村田、小諸、上田、松代、須坂、飯山、長野の各県は長野県に。現在は岐阜県の飛騨と、伊那、高島、高遠、飯田、松本の各県は筑摩県に統合された。
現在の長野県は二つに分かれていた。ここからが長野松本戦争の話になる。これが150年前のことだ。
このあたりは信州に住む人には常識かもしれない。だが、生まれも育ちも関西の僕は知らなかった。めちゃくちゃ深い歴史だ。なのでもう少しだけ語らせてほしい。終わったらちゃんとサッカーの話するから。
1876年、長野県と筑摩県は一つの県となるため、どちらに県庁を置くかで議会が紛糾していた。そんな中、深夜に松本市の筑摩県庁が原因不明の火事で全焼してしまった。途端にきな臭くなってきたな。
この火事を受けて、県統合案は変更され、筑摩県は解体、一部地域を飛騨として岐阜県に編入することになった。残った地域は長野県に編入することになり、旧筑摩県民としては甚だ不本意な形で長野県へと統合されてしまった。それ以来、度々分県運動が行われた。
1948年には長野県庁で火災が発生し、県庁の一部を消失した。この事件を機に再び分県運動が行われ、議会でも分県について本格的に議論が行われた。本会議当日はあまりの物々しさに、警察官150人を動員して警備に当たらせるほどだったらしい。しかし、結局「分県に関する意見書」決議は不成立となった。
現在も長野県は分県されることなく、むしろ筑摩県から解体されて岐阜県の一部となった中津川市の旧山口村が、平成の大合併で長野県へと戻り、全国で唯一の越県合併を行うことで、ちょっとだけ大きくなった。
しかし、分県運動には失敗しても、長野県庁を北部に寄った長野市から長野県の中央に移すべきだという決議書は何度も出されている。残念ながらこちらも失敗しているが、新産業都市に松本市と諏訪市が指定される1年前の1962年まで何度も提出されている。いつかこの情熱が実ることがあるのだろうか。そもそも最近はそれを叫ぶような人がいるのかもわからない。
かつては人口でも長野市に優っていた松本市だが、現在は長野市に大きな差をつけられている。北陸新幹線が通っていることもその要因の一つかもしれないが、松本だって特急2本が走り、一大観光地である松本城や上高地を有している。県内唯一の空港もあり、正直負けている箇所はそんなにないと感じる。あとの問題は主要道路がかなり少ないということだろうか。そこさえ改善できれば絶対に負けない都市なのではないかと思う。
サッカーって深いね
さて、そろそろサッカーの話をしよう。こちらも歴史の話になってしまうが、AC長野パルセイロと松本山雅FCにも深い因縁があるらしい。
両チームの対戦は、2009年まで北信越フットボールリーグで開催され、地域リーグの試合の中では異例の盛り上がりを見せていたらしい。これは映画『クラシコ』で勉強した。日本のサッカーリーグにおいてこれまで描かれることがなかったらしい、地域リーグの、その中でも「信州ダービー」を題材にしたドキュメンタリー映画だ。
特に松本山雅FCが北信越1部に昇格した2006年以降、両クラブともJリーグ加盟を目指していることも相まって大いに盛り上がり、2007年には地域リーグの試合でありながら6000人を超える観客動員を記録し、2011年の第13回日本フットボールリーグでのダービーでは観客動員1万人を突破したという。
と、いうのがWikipediaで知り得た情報だ。僕はJリーグのサッカーをまだよく知らないため、松本山雅の試合しか観ていないから、大体のJリーグの試合では5000人から1万人前後の観客が観戦しているものなのだと考えていた。どうやらそうでもないらしい。あと大阪ダービーも1万人以上の観客動員数を記録していたはずだ。
それだけ松本山雅FCが松本市民から愛されている存在である、ということなのかもしれないが、それでも信州ダービーというのは特別なものらしい。
これも多分これまでの長野市松本市の対立構造があるのだろう。目に見えて対立しているわけではないが、静かにお互いを牽制しあっているのかもしれない。どうやら似たようなことをJリーグで理事をしていた傍士銑太という人が言っているので間違いはないかもしれない。多分。
元々長野県に存在するサッカーチームは、AC長野パルセイロ、松本山雅FC、アンテロープ塩尻、アルティスタ浅間の4チームがあるらしい。
その中で長野パルセイロと松本山雅の試合がここまで盛り上がるのはなぜか?と自分なりに考えた末に行き着いたのが、両チームともにJリーグチームであること、そして長野県の歴史が答えだった。
試合の時間だ!
今年は11年ぶりの信州ダービー開催の年で、盛り上がりがすごいのかもしれない。しかもJリーグで2回、天皇杯で1回、計3回あるのだ。両チームともそれ用のチャントとか横断幕用意してたし、もうそれだけでこの一線が特別なのがよくわかる。
こんなに楽しいダービーを11年も見ることができないのは辛すぎる。しかもこれがまたいい試合を繰り広げるのだ。心血を注ぐほどに応援しているサポーターからするとすごくしんどいかもしれない。しかし、サポーターとしてサッカー応援の世界に入ったばかりの僕からするとこういう試合を求めていたし、めちゃくちゃに滾る。
これだよ、こういうのを待っていたんだよ。
まさにこの言葉に尽きるのだ。歌い、叫び、旗を振り、手を鳴らし、跳ねる。選手の動きに呼応してサポーターも躍動する。
さぁ1点を先制した!ここからが正念場だ。長野の監督が檄を飛ばしているのが聞こえる。
ところで長野の監督、スーツの下にオレンジシャツとオレンジスニーカー履いててめちゃくちゃ長野のこと好きじゃんってなりましたね。好感が持てる。
後半もめちゃくちゃ熱いんすよ
同点に追いついたところからもうヒヤヒヤが止まらない。手に汗握る試合展開、白熱する応援合戦、思わず汗を拭くタオルを握る拳に力が入り、チャントを歌う声に気迫が籠る。
これぞまさにダービー。これこそまさに僕が求めていた伝統の一戦。これでこそクラシコだ。僕の観たかった、心の底から求めていたサッカーがここにある。
ルカオ選手の決勝ゴール。素晴らしい決まり方だった。あれ以上のゴールはなかなか観られないんじゃなかろうかというほど綺麗だった。あの瞬間を見ていたのにカメラに収められなかったのが残念でたまらない。
あとは試合終了まで逃げ切るのみ。残り時間はわずか。今までで一番応援に力がこもる瞬間。それと同時に少しでもボールが長野側を向くと早く笛よ鳴ってくれと気持ちが焦る。この瞬間がたまらなく好きだ。負けている時はまだ鳴ってくれるなと気持ちを込めてしまう。
ダービーの終わり
ピッピッピーーーーーーーーッ
と笛が響いた。試合終了。松本山雅の勝利。その瞬間、ゴール裏は今までで一番大きく盛り上がった。歌い、叫び、飛び跳ね、手を振り、抱き合う。やはりスポーツ応援はみんなで声出して応援してナンボなんだよな、と痛感した。これが一番楽しくて熱いんだ。
全員でラインダンスをしていた。こういうのが観れるのが一番楽しいんだ。帰ってからの酒と飯は絶対にうまい。間違いない。何より推しが活躍していたのだ。それだけでご飯が進むね。
よし、早く帰って飯を食べよう。腹が減った。そんで次の富山に備えて早く寝よう。おやすみ。